日本に来航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:20 UTC 版)
「モーリツ・ベニョヴスキー」の記事における「日本に来航」の解説
7月8日、阿波国徳島藩の日和佐(現徳島県美波町)に来航する。徳島藩は幕府の咎めを恐れて上陸を許さなかったが、水と食料を提供した。 阿波を後にして土佐国高知藩の佐喜浜(現高知県室戸市)に向かったが、上陸はできなかった。このため長崎を目指したが、方向を見失って奄美大島に流れ着き上陸する。この地で長崎のオランダ商館長宛の書簡を送ったが、これが後に「手紙事件」に繋がることとなる。台湾島に寄港したが現地人との間で戦闘となり、次の寄港地マカオに向かった。
※この「日本に来航」の解説は、「モーリツ・ベニョヴスキー」の解説の一部です。
「日本に来航」を含む「モーリツ・ベニョヴスキー」の記事については、「モーリツ・ベニョヴスキー」の概要を参照ください。
- 日本に来航のページへのリンク