ディアナ号沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:46 UTC 版)
1853年、江戸幕府に開国を求めて日本に来航したロシア海軍提督のエフィム・プチャーチンは、下田において日露和親条約を締結。ところが、安政大地震に遭遇し、率いていた「ディアナ号」が損傷。結局、戸田沖に来た際に、損傷が原因で沈没してまった。そこで、彼らが帰国するために、戸田で地元の船大工と乗組員と協力して西洋式帆船を建造、君沢形1番船「ヘダ号」を完成させて、彼らを無事帰国させる。この「ヘダ号」の技術が、後に日本の近代造船技術の発展に大きく寄与した。
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