戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財とは? わかりやすく解説

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戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:11 UTC 版)

奈良県立畝傍高等学校」の記事における「戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財」の解説

現校舎本館北館南館から成る)は旧制中学校時代1933年昭和8年)に完成日本建国神話土地柄にふさわしい建築にするため、奈良県当時として破格予算計上した寺師通尚と岩﨑平太郎(当時奈良県土木営繕建築技手、のちに奈良県下初の民間建築設計事務所開設)の設計で、帝冠様式思わせる仏教様式引用的に採用されている。 第二次世界大戦末期数ヶ月間、校舎海軍経理学校貸与され橿原分校設けられた。その間授業晩成小学校校舎借りて続けられた。当時校舎塔屋には十六弁の菊花紋章掛けられ屋上には電波探知機高射機関砲防空監視施設設置されていた。校庭外周フェンス等に、戦時中金属供出による爪跡が残る。校舎正面校章左上米空軍機関銃があたり、セメント埋められた跡(と伝えられる)が数か所ある。 日本建築学会より美的建築物として日本近代建築二千」に選出されており、2012年平成24年4月20日校舎本館北館南館渡廊下倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録された。奈良県実施した県立高校校舎耐震診断で、本館耐震補強必要ない「A1」と判定されている。耐震改修適宜施されている。校舎教室設備全日制定時制共用している。 校長室 - かつて「御真影」と「教育勅語謄本保管していた金庫(「奉安庫」)が現存する。また貴賓室(現在は小会議室)も設けられた。 史料館 - 古代日本朝鮮に関する考古学資料保管。後に東京帝室博物館(現東京国立博物館)の監査官に就任した高橋健自教頭ら、旧制中学時代教員学校関係者が収集したものが主で、2007年2~3月奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で、新羅の瓦塼を中心とする特別陳列実施された。 文化創造館 - 1996年完成地上3階建て空調設備完備可動式座席462席)を備え学校行事限らず広く一般に開放される校舎年表 1955年昭和30年) - 3月31日図書館完成 1958年 - 11月19日講堂増築 1960年 - 5月17日プール完成 1967年 - 1月20日新体育館完成 1969年 - 12月31日鉄筋コンクリート造4階ての建特別教室新館完成 1986年 - 11月3日創立90周年記念して新南館、史料館図書室完成 1989年平成元年) - 8月21日格技場体育研究室更衣室部室新築工事・ハンドボールコート・テニスコートを新設 1990年 - 8月31日校舎大規模改修工事完了 1996年 - 9月24日文化創造館が完成10月31日第二史料館完成 2012年 - 4月20日校舎本館北館南館渡廊下倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録される

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