戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財
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「奈良県立畝傍高等学校」の記事における「戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財」の解説
現校舎(本館―北館と南館から成る)は旧制中学校時代の1933年(昭和8年)に完成。日本の建国神話の土地柄にふさわしい建築にするため、奈良県は当時として破格の予算を計上した。寺師通尚と岩﨑平太郎(当時・奈良県土木課営繕係建築技手、のちに奈良県下初の民間建築設計事務所を開設)の設計で、帝冠様式を思わせる仏教様式が引用的に採用されている。 第二次世界大戦末期の数ヶ月間、校舎が海軍経理学校に貸与され、橿原分校が設けられた。その間、授業は晩成小学校校舎を借りて続けられた。当時校舎の塔屋には十六弁の菊花紋章が掛けられ、屋上には電波探知機、高射機関砲、防空監視施設が設置されていた。校庭外周フェンス等に、戦時中の金属供出による爪跡が残る。校舎正面の校章の左上に米空軍の機関銃があたり、セメントで埋められた跡(と伝えられる)が数か所ある。 日本建築学会より美的建築物として「日本近代建築二千」に選出されており、2012年(平成24年)4月20日に校舎本館の北館・南館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録された。奈良県が実施した県立高校校舎の耐震診断で、本館が耐震補強の必要ない「A1」と判定されている。耐震改修も適宜施されている。校舎・教室・設備は全日制と定時制で共用している。 校長室 - かつて「御真影」と「教育勅語」謄本を保管していた金庫(「奉安庫」)が現存する。また貴賓室(現在は小会議室)も設けられた。 史料館 - 古代日本・朝鮮に関する考古学資料を保管。後に東京帝室博物館(現東京国立博物館)の監査官に就任した高橋健自教頭ら、旧制中学時代の教員・学校関係者が収集したものが主で、2007年2~3月、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で、新羅の瓦塼を中心とする特別陳列が実施された。 文化創造館 - 1996年完成。地上3階建て。空調設備完備。可動式座席(462席)を備え、学校行事に限らず広く一般に開放される。 校舎の年表 1955年(昭和30年) - 3月31日、図書館が完成 1958年 - 11月19日、講堂を増築 1960年 - 5月17日、プールが完成 1967年 - 1月20日、新体育館が完成 1969年 - 12月31日、鉄筋コンクリート造4階ての建特別教室新館が完成 1986年 - 11月3日、創立90周年を記念して新南館、史料館、図書室が完成 1989年(平成元年) - 8月21日、格技場・体育研究室・更衣室・部室新築工事・ハンドボールコート・テニスコートを新設 1990年 - 8月31日、校舎の大規模改修工事が完了 1996年 - 9月24日、文化創造館が完成。10月31日、第二史料館が完成 2012年 - 4月20日、校舎本館の北館・南館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録される
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