岡山県南政令指定都市構想
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岡山県南政令指定都市構想(おかやまけんなんせいれいしていとしこうそう)は、岡山県南の岡山市を中心とした大規模な市町村合併により、中四国の中枢としての広域都市建設と政令指定都市の指定を目指す行政の政策のこと。現在は将来の道州制導入の際、岡山県が提唱している「中四国州」の州都誘致のためという名目も付加されている。
- ^ これは当時三木県知事や当時企画室長だった森清の圧力や岡山市内他の合併推進派が用意したと思われる暴力団員風男性女性の議会傍聴席占拠、中国新報なる赤新聞の発行などによる倉敷市長他関係者の誹謗中傷を新聞記事にして無料配布するなど、調印式前後に高橋市長自身が身の危険を感じたことによる失踪であった。
- ^ 市町村合併支援本部(首相官邸)
- ^ 政令指定都市について(三島市)
- ^ 合併や政令市移行がなぜ選択肢になるの?(鎌ケ谷市「東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会」)
- ^ 市長ニュース【岡山市の人口が70万人に到達しました-平成19年6月26日】(岡山市)
- ^ 岡山県毎月流動人口調査(平成17年国勢調査基準市町村別人口)(岡山県)
- ^ 2007年11月定例市議会総務委員会での企画局長の答弁
- ^ 瀧野総務事務次官記者会見の概要(総務省 2008年10月9日)
- ^ 政令指定都市をめざして(熊本市 2008年12月2日)
- ^ 岡山、これで正真正銘の指定市 人口やっと70万人超す(朝日新聞 2011年1月23日)
- ^ 岡山市の政令指定都市への移行が閣議決定, 市長ニュース. 2008年10月10日. (岡山市公式HP)
- 1 岡山県南政令指定都市構想とは
- 2 岡山県南政令指定都市構想の概要
- 3 岡山市の指定都市移行(2009年4月)までの経過
- 4 脚注
岡山県南政令市構想 (平成の大合併)
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「岡山県南政令指定都市構想」の記事における「岡山県南政令市構想 (平成の大合併)」の解説
県南百万都市建設計画が頓挫した後、岡山市は市長・岡崎平夫のもと、高度成長で急速な市街化が進んだ隣接市町村との合併を積極的に進め、1969年(昭和44年)西大寺市を皮切りに1975年(昭和50年)の藤田村まで11市町村と合併し50万都市となり、平成4年には60万人を突破、全国初の中核市に移行した。2001年(平成13年)8月、国は市町村の合併を促進するため、政令指定都市の人口要件を暫定的に条件付きで70万人に緩和する市町村合併支援プランを発表した。これにより岡山市周辺でも政令指定都市に向けた合併機運が高まり「岡山県南政令市構想」という名称での合併協議が行われ、周辺4町との合併が順次進み、岡山市は倉敷市抜きの70万人で政令指定都市に移行した。
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