小原和紙(おばらわし)
小原和紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 10:08 UTC 版)
この地域で紙漉きが盛んになった理由としては、和紙の原料である良質な楮が近くで得られること、和紙の加工に用いる水が豊富であること、農閑期の仕事として適当であることなどが挙げられる。この地域で生産される和紙は小原和紙(三河森下紙)と呼ばれ、愛知県郷土工芸品に選定されている。 室町時代の明応5年(1496年)には、東萩平の三玄寺の柏庭和尚が和紙の製造技術を持ち込んだ。江戸時代のこの地域ではかなりの量の和紙が漉かれていた。1876年(明治9年)の戸籍簿では27戸が紙漉き業を生業としており、昭和初期までは障子紙・傘紙・札紙などが漉かれていた。その後、機械漉き和紙が爆発的に増え、また洋傘やビニール製雨合羽などの登場で和紙の需要が減少した。1961年(昭和36年)の小原村では6戸が紙漉き業を生業としていたが、1977年(昭和52年)には最後の1戸が廃業した。 手漉き和紙の見通しの暗さを打開しようと、昭和初期以降には民芸品として小原工芸紙が生産されるようになった。工芸家の藤井達吉は、1932年(昭和7年)から小原村で和紙工芸の指導を行うと、太平洋戦争終戦前の1945年(昭和20年)2月には小原村に疎開し、工房の無風庵を建てて小原村に定住した。藤井達吉は小原和紙の職人技術を芸術の域にまで高め、山内一生・安藤繁和・春日井正義・加納俊治・小川喜数など多くの工芸作家を育てた。小原工芸紙のなかでも、屏風・襖紙・額などは国内で、屏風・壁紙などは国外で販売されている。
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