導入への是非について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 23:11 UTC 版)
「早期英語教育」の記事における「導入への是非について」の解説
早期英語教育の導入については、英語教育関係者、小学校教員、保護社、マスコミ等で賛否両論が言われている。 中嶋嶺雄国際教養大学学長(元東京外国語大学学長)は、「国際社会のコミュニケーションでは英語が使われることから、英語でコミュニケーションができるように、情操教育や語学教育は頭が柔軟なうちから始める必要がある」として、小学校低学年からの英語活動導入、高学年での教科化を提唱している。また、中島和子名古屋外国語大学教授は、カナダや欧米で行われている「バイリンガル教育」を参考に、早期英語教育の必要性を説くとともに、「外国語だけでなく母語も伸びる可能性が高い」と指摘した。渡邉寛治文京学院大学教授は、アングロサクソン系の言語を話す人々はコミュニケーションを重視する文化を持っており、ALT等との英語活動は小学生の「自己決定・行動力」を培う効果があること、日本語によるコミュニケーションは自らの意思を表現する発想がどちらかといえば希薄であること、「自己決定・行動力」が求められるコミュニケーション活動は、日本の国語教育に欠けており、超えられない壁だとしている。 一方、言語獲得の臨界期説などに対して反対がある。大津由紀雄慶應義塾大学教授は、「英語環境での英語獲得と日本語環境での英語学習は、英語との接触の仕方、接触する英語の質と量、動機付け、獲得、達成度に違いが見られ、両者を区別なく論じることは危険である」としている。鳥飼玖美子立教大学教授は、臨界期とされる年齢以降に英語を身につけた例をあげて、「英語早期教育よりも母語(国語)の教育が重要で、中学高校での英語教育が重要だ」と説いた。馬場哲生東京学芸大学准教授は、年齢とともに言語習得機能が低下しても、分析力や論理的思考力が高まることで、第二言語も相当程度習得可能であること、第一言語で習得された語彙、文法などの知識が第二言語で生かされる可能性があるとして、英語の学習開始が遅くてもよいと考えることもできるとしている。行方昭夫東京大学名誉教授も小学校3年からの英語教育、中高での英語教育は英語を用いるべしという文科省の方針は改悪だという。既に「文法と訳読だけの授業」が行われておらず、実情を知らずに「放言」している人が多いという。帰国子女が皆ペラペラというのも嘘で、母語と隔たりのある外国語を身に付けようとするのには大きな壁があるともいい、そもそも若者が英語を勉強しないのは日本社会では大学教育まで必要がないからで、「英語が出来て、仕事が出来ない」のと「仕事が出来て、英語が出来ない」のとどっちがいいのかと問題提起している。 外国語を通じてコミュニケーション能力育成を図る目標について、小学校から開始することへの疑問や、なぜ英語なのかという疑問も出されている。宮﨑修二対日貿易投資交流促進協会理事長は、幼い頃から英語を学べば国際理解が深まるというのは飛躍した論理であり、国際理解のためには、まず身の回りの人々への他者理解から始まり、年齢とともに発達し、培われるものではないとして、国際理解やコミュニケーション能力涵養に対して、英語学習を特別視することに疑問を呈した。また英語学習と国際理解の関連が不明確であり、なぜ英語でなければならないか議論がされないままでは英語優越主義がもたらされかねないとした。 学校教育によって日本人全員が実践的な英語運用能力を身につけることは無理な目標設定であるという指摘がある。前述の渡邉寛治も、「財界からの要望である英語を自由に使える人材は、全体のうちわずかなものであり、義務教育ではそれ以外の大多数の人々をきちんと押さえて議論する必要がある」としている。藤原正彦お茶の水女子大学名誉教授は、「英語を流暢に使える層も5%程度は必要であるが、それ以外の大多数の日本人が、同様に英語を話せるようになる必要はない」と批判し、小学校からの英語必修化を否定して、国語教育の重要性を説いている。小学校での英語教育は、教育体制、教員の英語力、限られた授業時数からでは効果が期待できず、国語習熟との共倒れの危険性を指摘する意見もある。
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