導入への過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 13:35 UTC 版)
第二次世界大戦終結後、皇族や首相、閣僚の国外公式訪問や国内移動の際に、半官半民の経営体制である日本航空(JAL)の特別機が頻繁に使用されることになり、1954年8月に、北海道で開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇と香淳皇后のために、初の皇族向け特別機のダグラス DC-4が千歳空港-羽田空港間で運航された。その後も、特に国外公式訪問の際の特別機として、当時日本の航空会社で唯一国際線を運航していたJALの機材が利用されるケースが多かった 。 YS-11の生産がピークに達した頃には、国産旅客機ができたのだから、せめて政府専用機でもという話が出たこともあった。1969年11月には、佐藤栄作首相(当時)が沖縄返還交渉のために渡米した時、激しい反対闘争の中で羽田空港に行くのは危険との判断で、首相官邸から羽田まで陸上自衛隊のHU-1Bヘリコプターを使用したことをきっかけに、陸上自衛隊の第1ヘリコプター団に、窓の大きい、内部を特別な作りにしたV-107が1機配備された。しかし、固定翼の政府専用機は、実現するまでに時間がかかった。1975年には、ベトナム戦争末期のサイゴン陥落で、邦人の救出に向かった日本航空の特別機が、政府の要請から出発までの間に2日もかかってしまい、マニラまで行ったが立往生してしまった。1970年代に相次いだ、日本赤軍によるハイジャック事件でも、政府専用機の必要性を指摘する声があった。
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