宮沢遺跡
名称: | 宮沢遺跡 |
ふりがな: | みやざわいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 宮城県 |
市区町村: | 古川市宮沢 古川市川熊 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1976.07.13(昭和51.07.13) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S51-6-006[[宮沢]みやざわ]遺跡.txt: 宮城県の北部、大崎平野の北縁西方寄りで丘陵と谷を広範囲にとりこんで営まれた防衛的施設として注目される遺跡である。本遺跡は、約20~35メートルほどの比高をもち、平野を一望する丘陵と谷を含み、東西約1,400メートル、南北約850メートルのほぼ長方形に築地などをめぐらした雄大な規模をもっている。 昭和47年以降の東北縦貫自動車道の建設に伴う発掘調査が契機となって発見されたもので、遺跡の外周には築地状および土塁状遺構がめぐらされており、特に北辺では残存状況もよく、2~3条以上遺存している。区画の内側には隅部分の高所に方壇状の盛土があり、低地では竪穴住居跡や掘立柱建物群が認められている。また、土塁をまたいだ掘立柱建物もある。調査は西北隅の一部分のみ行われたにすぎないが、他に布目瓦の散布地や土師器の散布地が築地に囲まれた内部の各所に知られている。住居跡や築地・土塁の内外からは奈良時代末から平安時代の瓦や金属器や土器が検出されている。 この遺跡は、律令国家が東北地方経営のため築いた城柵の一つと推定されている。その名称等についてはいまだ明らかでないが、東北地方の古代史の解明のためには欠くことのできない重要な遺跡である。 |
宮沢遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/10 14:18 UTC 版)
宮沢遺跡 | |
![]() 宮沢遺跡 | |
所在地 |
![]() |
---|---|
座標 | 北緯38度37分34.9秒 東経140度56分51.1秒 / 北緯38.626361度 東経140.947528度 |
標高 | 50 m (164 ft) |
全長 | 1400m |
幅 | 800m |
歴史 | |
時代 | 奈良時代・平安時代初期 |
宮沢遺跡(みやざわいせき)は、宮城県大崎市の古川宮沢・古川長岡・古川川熊の各地区にまたがる古代の遺跡。奈良時代もしくは平安時代に用いられた官衙もしくは城柵の跡とされている。1976年(昭和51年)7月13日に国の史跡に指定されている[1]。
概要
1974年(昭和49年)の東北自動車道建設工事の際に存在が確認され、同年から3年間かけて宮城県教育委員会などが発掘調査を行った。
大崎平野の北縁にある長岡丘陵と呼ばれる丘陵地帯にあり、その規模は東西1400メートル・南北850メートルにも及ぶ。周囲は築地・土塁・溝などで囲まれており、その内側には掘立柱建物や竪穴建物跡などが確認されている他、土師器・須恵器や鉄鏃を含む鉄製の道具、砥石などが出土している。
この遺跡の性格については、その規模の大きさと外縁部の施設より古代の玉造柵とする説があるが、同柵を名生館官衙遺跡に充てる説もあり確定には至っていない。異説として長岡郡衙説や覚鱉城説もある。
脚注
- ^ 指定文化財〈史跡〉宮沢遺跡(宮城県)
参考文献
- 白鳥良一「宮沢遺跡」(『宮城県百科事典』(河北新報社、1982年) ISBN 978-4-873-41001-2)
- 桑原滋郎「宮沢遺跡」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
外部リンク
座標: 北緯38度37分34.9秒 東経140度56分51.1秒 / 北緯38.626361度 東経140.947528度
- 宮沢遺跡のページへのリンク