塩原 - 板室間
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「栃木県道266号中塩原板室那須線」の記事における「塩原 - 板室間」の解説
塩原 - 板室間の山越え区間は俗に「塩那道路」と呼ばれる。大佐飛山地の標高1,000メートル以上の稜線を縦走する道路で、最高地点は標高1,700メートル(鹿又岳付近)、道路の麓からの高低差は1,100メートルに達し、通常なら登山の対象になるような、集落も人家もない場所を通る。この区間は高度経済成長期の1962年(昭和37年)に観光道路「塩那スカイライン」として構想された。当時は急速に普及したマイカー(自家用自動車)による観光が日本中でブームで、全国各地で同様の観光道路の建設が相次いでおり、本道は視界を遮るものがなく見晴らしの良い稜線上を車で通行できるような、日本有数の規模の山岳道路が完成する予定であった。塩原側の起点位置は同時期に道幅拡幅と路線延長が構想されていた日塩もみじライン入口とは箒川をはさんで対岸の位置にあり、開通を果たした際には同道路と接続させる目的もあった。 建設現場の地形は急峻で、民間の業者では機材の搬入が困難であったことから、1966年(昭和41年)10月からは栃木県から土木工事等を受託を委託された陸上自衛隊が訓練の一環として工事に当たり、延べ74,018人の自衛隊員が参加した。路線の途中に資材搬入のためのヘリポートが設けられ、自衛隊の空輸能力を生かした工事が進められたが、ブルドーザーの空輸中の事故によって殉職者が出るなど、工事は困難なものであった。1971年(昭和46年)にはついに工事用パイロット道路の貫通にいたるが、その後オイルショックによる景気減速と財政悪化を原因に建設工事が中断する。本道は1,100メートルに達する高低差を登り降りするためにつづら折りを繰り返した結果、非常に長い道のりとなってしまい国道400号経由のルートと比較してショートカットとして機能しないため(山越え区間のパイロット道路が約50キロメートルの道のりに対し、(現) 国道400号線 - 県道30号線 - 県道369号線経由ならば20キロメートル以上短くアップダウンも少ない)、有料道路として整備しても通行量が見込めなかった。1982年(昭和57年)には塩那道路の塩原側から少し入った土平(どだいら)園地、および 板室側から少し入った深山園地までの区間を、良好な眺望を得られる地点までの「優先区間」として少しずつ整備を進める方針が決定したが、残りの区間は優先区間の整備を待つものとされた。1980年台後半には、栃木県北部地域は通称リゾート法と呼ばれる総合保養地域整備法の「日光・那須リゾートライン構想」エリアとなり再び注目されるも、バブル崩壊により山岳区間の整備計画が事実上凍結。 山岳区間は未開通のまま4,000万円の年間維持費を費やしながらも、結論は先送りされたまま定まらず、建設の中断から29年目の2004年(平成16年)、ついに観光道路として一度も開放されることのないまま、山岳区間を利用廃止する方針が定まった。2011年(平成23年)には植生回復工事も完了し、2014年現在、塩原 - 土平園地間、および 深山園地 - 板室間のみが開通しており、それ以外の山岳区間は土砂崩れや環境破壊などを防ぐ措置を講じつつ、自然の回復力に任せ廃道とするとしている。 土平園地 - 深山園地間のパイロット道路は那須塩原警察署が通行止(歩行者も含む完全通行止)の規制を敷いており、道路管理関係者と一部の地元住民以外は一切の進入ができない。途中の男鹿岳山頂付近には工事に従事した陸上自衛隊104建設大隊(宇都宮駐屯地)の関係者を列挙した記念碑があるが、道路を通ってそこまで行くことはできず、一般の目に触れることはない。塩那道路塩原側約8キロメートルは上記の通り土平園地までは整備済であるが、4月下旬 - 11月下旬およびそれ以外でも午後6時 - 翌日午前8時は閉鎖されており、該当する期間の通行は不可能である。また、板室側は5月中旬 - 11月下旬のみの開放となり、それ以外の通行は禁止されている。
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