塩化銀の感光性を発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:47 UTC 版)
「ヨハン・ハインリヒ・シュルツェ」の記事における「塩化銀の感光性を発見」の解説
シュルツェは、陽のあたる窓枠に置いていたガラス瓶に入れた硝酸が変色していることに気付いた。その硝酸はすでに使用済みのもので、硝酸銀が含まれていた。シュルツェは、実験によって変色の原因を見つけようとした。この反応が、太陽の光によって生じたものなのか、熱によって生じたものなのかは、はっきりしていなかった。1717年、シュルツェは、硝酸銀を窯で加熱しても黒く変色はしないことを突き止めた。熱は変色の原因ではないことが分かったのである。そこで、硝酸銀の入ったガラス瓶の一部を不透明な素材で覆って日光に晒して、しばらくすると、覆われていないところだけが変色していた。覆われていた部分には変化は起こっていなかった。シュルツェは、こうした実験によって、塩化銀の感光性を明らかにした。 1719年、シュルツェはこの研究結果を『Bibliotheca Novissima Oberservationum ac Recensionum 』誌上に、論文「Scotophorus pro phosphoro inventus, seu experimentum curiosum de effectu radiorum solarium(光の運び手のための闇の運び手の発見、あるいは、太陽光の興味深い効果についての実験)」と題して公表した。この論文は、1727年に同じ題目でドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナの『Acta physico-medica 』誌にも転載された。1913年にシュルツェの発見の重要性を指摘したヨーゼフ・マリア・エーダー(Josef Maria Eder )は、転載の方しか知らなかった。
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