三河島事故とは? わかりやすく解説

三河島事故

(国鉄常磐線三河島事故 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 07:59 UTC 版)

三河島事故(みかわしまじこ)は、1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故。「国鉄戦後五大事故」の一つ。


注釈

  1. ^ 当時は常磐線を含めた東北本線の上野 - 東京間の営業はされておらず、また1980年代には東北新幹線の建設工事もあり当該区間が分断されていたことから、事故から53年が経過した2015年上野東京ライン開業まで上野止まりだった。
  2. ^ 事故当時の沖縄はアメリカ合衆国の施政権下にあり、1972年5月15日の沖縄返還まで日本本土への渡航には旅券が必要だった。
  3. ^ 本事故以外にも平成4年の関東鉄道常総線取手駅列車衝突事故平成9年のJR東日本中央線大月駅列車衝突事故など。

出典

  1. ^ 久保田博『鉄道重大事故の歴史』(グランプリ出版、2000年、ISBN 4-87687-211-2)p.110-111
  2. ^ 宮城県に影響を及ぼした地震・津波の被害”. 仙台管区気象台. 2023年7月4日閲覧。
  3. ^ 「運転事故通報(昭和37年5月)」.1962 日本国有鉄道運転局保安課
  4. ^ 最高裁 昭和44年(あ)752号 判決”. 最高裁判所 (1969年). 2023年7月4日閲覧。 7ページ
  5. ^ a b 東京地裁 昭和37年(刑わ)2523号 判決 大判例(三河島事故・第一審判決文)”. 大判例. 2023年7月4日閲覧。
  6. ^ 機関士物語 P162
  7. ^ 昭和37年暦要項(東京天文台)-「朔弦望・昭和37年」(出典部分は3ページ) - 国立天文台 > 暦計算室 > 暦要項 > 暦要項 PDF版一覧 - 昭和 - 昭和31-40年 (1956-1965) - 昭和37年 (1962)、2021年7月27日閲覧 (PDF)
  8. ^ 三輪和雄著「空白の5分間 三河島事故 ある運転士の受難」講談社
  9. ^ JR東日本ニュース「サステナブルな JR東日本グループを創るための組織の改正について」(※出典部分は1ページ目) - JR東日本、2022年4月19日付、2022年12月25日閲覧 (PDF)
  10. ^ JR東京支社 三河島、東中野駅に「事故展示室」開設 交通新聞・電子版(2020年3月30日付)(2021年9月20日閲覧)
  11. ^ a b c d 「【戦後史開封】(423)鉄道事故(4)」『産経新聞産経新聞社、1995年9月29日、朝刊、9面。
  12. ^ 「三河島事件の四人を免職」『交通新聞』交通協力会、1973年6月10日、1面。
  13. ^ 機関士物語 P163-P164
  14. ^ 今尾恵介『地図から消えた地名―消滅した理由とその謎を探る』(東京堂出版、2008年)p.77
  15. ^ 今尾恵介『地名崩壊』(角川書店(角川新書)、2019年)pp.165-166。過去の著書で安易に俗説を引いてしまったとして反省を記している。


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