クリトモ一休・三休とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > クリトモ一休・三休の意味・解説 

クリトモ一休・三休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 06:28 UTC 版)

クリトモ 一休・三休(くりとも いっきゅう・さんきゅう)は、日本漫才コンビ。後身の第 一球・三球(だい いっきゅう・さんきゅう)についてもこの項で記述する。リーガル千太・万吉門下。

コンビ来歴

1958年4月、リーガル万吉門下の一休と三休がコンビ結成。亭号「クリトモ」は寄席『栗友亭』にちなむ。

師匠譲りの上品でテンポのいい芸風を身につけ、若手のホープとして期待された。1960年10月の第8回NHK漫才コンクール、1961年3月の第9回NHK漫才コンクールでともに3位となった[1]。1962年3月、第10回NHK漫才コンクールで優勝。一躍実力派として認められ、師匠からも近々「リーガル」の亭号を許される話が出た[1]

東京漫才の一角をになう若手として活躍し始めた矢先の1962年5月、一休が三河島事故に巻き込まれ急死。三休は漫談司会などを行っていたが、1962年末、大空平路の斡旋で、畦元直彦(2代目クリトモ一休→第一球)とコンビを結成。のち、「第一球・三球」と改名する。

第一球・三球は奇抜な味わいのある漫才で注目を集め、1964年3月、第12回NHK漫才コンクールに出場し、『発明発見物語』というネタで2位。一球曰く自信作だったとのこと[1]。コンビ仲も悪くなかったが、張り合いがなくなりつつあり、有耶無耶のうちに1964年頃コンビを解消することとなった[1]

メンバー

出典

  1. ^ a b c d e 喜利彦山人 (2020年2月1日). “クリトモ一休・三休と第一球”. tokyomanzai0408.com. 2020年2月14日閲覧。
  2. ^ "春日三球・照代の三球さん死去 地下鉄漫才「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょう」ブーム". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 18 June 2023. 2023年6月18日閲覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  クリトモ一休・三休のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クリトモ一休・三休」の関連用語

クリトモ一休・三休のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クリトモ一休・三休のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクリトモ一休・三休 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS