春日三球・照代結成前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:09 UTC 版)
「春日三球・照代」の記事における「春日三球・照代結成前」の解説
三球はリーガル千太・万吉門下で、別の男性と『クリトモ一休・三休』の名で漫才コンビを組み、1957年に初舞台。『クリトモ』の屋号は、当時南千住にあった漫才の定打寄席『栗友亭』に因んだもの。 並いる若手の中でもテンポの良さで売り出し、1962年の第10回NHK新人漫才コンクールで優勝するなど、順風満帆のように思われた。ところがその直後の同年5月に、相方の一休が鉄道の三河島事故によって急逝する。 このため、新しい相方(現ボーイズバラエティ協会所属のアコーディオン漫談家・ハウゼ畦元)と『第一球・三球』を組んで活動。その際に「三休」から「三球」に改名した。 一方、妻の照代は、上方夫婦漫才師の『春日目玉・玉吉』娘で、姉との姉妹漫才コンビ『春日淳子・照代』で13歳で初舞台。共に結婚・引退してコンビを解消している。
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