町名「三河島町」の消滅との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 11:24 UTC 版)
「三河島事故」の記事における「町名「三河島町」の消滅との関連性」の解説
この事故により「三河島」という地名が全国にマイナスイメージとして持たれるようになったために忌避され、1968年の住居表示施行を機に一帯の「三河島町」という町名は消滅した、という説があるが、今尾恵介は2019年の著書で、「三河島町」の大部分は1961年10月31日(事故の半年前)に荒川に変更されており、町名消滅と事故とを結びつけるのは「俗説」「都市伝説」としている。その後も数年間「三河島町」の地名が残ったのは道路からはみ出るなどしたわずかな面積であって、もともと他町名への分割編入が意図されたのであろうとしている(1964年7月1日に東尾久の分割編入が行われたあと、残った部分が1966年3月1日に東日暮里・西日暮里に編入されて「三河島」が消滅した)。
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