国府遺跡
名称: | 国府遺跡 |
ふりがな: | こういせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 大阪府 |
市区町村: | 藤井寺市惣社 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1974.06.25(昭和49.06.25) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和52.07.19 |
解説文: | S52-06-033[[国府遺跡]こういせき].txt: 昭和49年6月25日史跡指定された国府遺跡は先土器時代にはじまり、縄文時代には大規模な集落が営まれ、70体以上の埋葬人骨の発見された墓地が営まれている。 また、弥生時代にも引きつづき顕著な集落が営まれるだけでなく、飛鳥時代には寺院の造立があり、また奈良朝には、国府が設置されるというように長期にわたり各種の遺構が極めて重複して形成された遺跡として著名である。追加指定する地域は、既指定地の西北隅に西接する地域であるが、昭和50年、大阪府教育委員会により発掘調査され、各期の遺構が複雑に重複する中で、国府に関連する奈良朝の遺構等の集中をみた地域である。 S46-5-114国府遺跡.txt: 国府遺跡は、大和川と石川の合流点の西方、沖積平野に向かって南方から突出した洪積台地の北端部に位置している。 遺跡地は、字「骨地」を中心として早くから人骨の出土が知られていたが、大正6年以来の発掘調査により、多数の埋葬人骨が発見され、甕被葬、抱石葬や〓(*1)状耳飾りをともなう人骨など、繩文式時代の葬法が明らかとなっているのをはじめ、弥生式時代についても知られている。また下層部からは、先繩文時代の石器も検出されているほか、この地は奈良時代の衣縫廃寺跡、国庁の所在地としても著名であるなど、わが国でも代表的な複合遺跡とされるものである。 指定するのは、これまでの調査結果からして繩文式時代の埋葬地が西向きの馬蹄形状に構成していると考えられるので、この埋葬地を中心とする地域である。 |
国府遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 08:23 UTC 版)
国府遺跡(こういせき)は、大阪府藤井寺市惣社に所在する旧石器時代から中世にかけての複合遺跡である。国の史跡に指定されている[1]。
注釈
- ^ 横に長い翼状の剥片で、石核からさしみを切るように打ち欠くところに特徴がある。
出典
- ^ 国府遺跡(藤井寺市サイト)
- ^ a b c d 国府遺跡発掘と道明寺天満宮南坊城光興 阡陵 : 関西大学博物館彙報 巻50 2005-03-31
- ^ 藤原妃敏「国府遺跡」の項(江坂輝彌・芹沢長介・坂詰秀一編 『新日本考古学小辞典』 ニュー・サイエンス社 2005年 p.142)
- ^ 京大展望/来間恭氏の批判の批判田村徳治、大阪毎日新聞 1931.5.11-1931.7.28 (昭和6)
- ^ “市章”. 藤井寺市. 2020年10月25日閲覧。
- ^ “国府遺跡発掘物語 No.121 けつ状耳飾りの謎”. 藤井寺市. 2020年10月25日閲覧。
[続きの解説]
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