国見山廃寺跡とは? わかりやすく解説

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国見山廃寺跡

名称: 国見山廃寺跡
ふりがな くにみさんはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 北上市
管理団体
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 国見山廃寺跡は岩手県中部北上川東岸丘陵地にある古代山岳寺院跡である。標高約245mの国見山南麓内門集落には国見山極楽寺があり、それを囲む北、西、南の丘陵上、標高150mから200m立地する昭和11年1936)に道路改修工事で瓦片が出土したことから古代寺院存在推定されるようになり、北上市教育委員会では昭和38年1963)から5年発掘調査行ったその結果塔跡1基、七間堂1基、三間堂3基が確認され、『日本文徳天皇実録天安元年(857)条に見え定額寺陸奥国極楽寺比定された。昭和62年1987以降発掘調査継続され、さらに新たな遺構、遺物発見されて、寺院全体の概要把握される至っている。
これまでの調査によれば内門集落西方国見山神社周辺とその南方のホドヤマと称される地区中心に集落周辺とその北方如意輪寺周辺広く遺構分布するこのうち国見山神社周辺とホドヤマ地区古代遺構集中する。まず9世紀後半国見山神社周辺いくつかの掘立柱建物確認される10世紀後半から11世紀にかけては最も数多く建物遺構確認され分布域拡大し、当廃寺最盛期考えられる掘立柱建物替わり礎石建物成立するが、瓦の出土量から見て全面瓦葺きではない。七間建物は南斜面造成して建てられており、9世紀後半掘立柱建物から礎石建物替わる桁行7間、梁行1間身舎須弥壇伴いその前面に8間の廂を付け構造であり、規模から見て中心的な仏堂考えられる。ホドヤマ地区には新たに多重塔須弥壇を伴うと見られる三間堂などが建立される。丘陵上に立地する建物12世紀になると急速に衰退する。この時期以降建物遺構集落周辺確認され集落内にはドウボウなど寺院関係する地名多数残ることからも、中世以降集落周辺寺院中心移ったものと考えられる
出土遺物には鬼瓦軒瓦道具瓦のほか?、仏像土製螺髪八稜鏡などがある。極楽寺伝世し、重要文化財指定されている平安後期銅製錫杖1点及び竜頭4点も当廃寺跡に関連したものと推測される
国見山廃寺創建出土土器から見て9世紀中頃さかのぼ可能性考えられる文献見え極楽寺とは確定できないが、中央政府の出先機関である胆沢城の北約10kmにあり、国家北辺鎮護するような位置にある。10世紀後半から11世紀にかけての最盛期には、周辺いくつかの廃寺跡が確認されており、この地域における仏教普及知られる調査で明らかとなった大規模な山岳寺院としては我が国最北事例であり、古代国家北辺における仏教普及具体的に物語貴重な遺跡である。中世以降も現極楽寺宗教活動継続し現在に至っており、遺構とともに周辺山地集落景観もよく保存されている。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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