哲学史上の意義
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「ポスト構造主義」という呼称は自分には関係のないものだと、ドゥルーズ自身はインタビューの中で述べている。そのことを考慮しても、構造主義の台頭以前から著述活動を行っていたドゥルーズの思想を「ポスト構造主義」と分類することにあまり意味があるとは言えない。構造主義の成果を引き継ぎつつも、ドゥルーズはきわめて独自の観点から自身の哲学を展開した。以下にドゥルーズの仕事を粗描する。 前期:ヒューム、ベルクソン、スピノザ、カント、ニーチェ等を自身の問題にひきつけて整理経験論、差異、一義性、超越論的なもの、内在性といった、ドゥルーズの主要タームに関する省察が行われる 中期1:『差異と反復』『意味の論理学』の時期個々の哲学者の整理を離れ、独自の哲学を展開する 西洋形而上学を貫く「同じもの」をめぐる悪しき「思考のイメージ」が批判される(デカルトのコギト、カントの超越論的なもの等) 自身の方法論となる超越論的経験論の整理 深層と表層をめぐるトポロジー ドクサに対するパラ‐ドクサ(パラドクス)の論理学の対置 三つの位相で展開される時間論 中期2:『アンチ‐オイディプス』『千のプラトー』の時期多くの概念群が創造される。ガタリとの共同作業。「外」へと向けて「哲学」が開かれる。 中期3:『シネマ』二巻、『感覚の論理』の時期映画論、絵画論 後期:自身の哲学の体系的叙述(特異なテーマ群)「襞」の概念をめぐっての、ライプニッツ、フーコー論 あくまで「内在性」を考察する 『哲学とは何か』における総括的記述 「内在」と「潜在性」の再記述
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哲学史上の意義
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「バールーフ・デ・スピノザ」の記事における「哲学史上の意義」の解説
スピノザの哲学史上の先駆者は、懐疑の果てに「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」と語ったデカルトである。これは推論の形をとってはいるが、その示すところは、思惟する私が存在するという自己意識の直覚である。懐疑において求められた確実性は、この直覚において見出される。これをスピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している(「デカルトの哲学原理」)。 その思想は初期の論考から晩年の大作『エチカ』までほぼ一貫し、神即自然 (deus sive natura) の概念(この自然とは、動植物のことではなく、人や物も含めたすべてのこと)に代表される非人格的な神概念と、伝統的な自由意志の概念を退ける徹底した決定論である。この考えはキリスト教神学者からも非難され、スピノザは無神論者として攻撃された。 一元的汎神論や能産的自然という思想は後の哲学者に強い影響を与えた。近代ではヘーゲルが批判的ながらもスピノザに思い入れており(唯一の実体という思想を自分の絶対的な主体へ発展させた)、スピノザの思想は、無神論ではなく、むしろ神のみが存在すると主張する無世界論(Akosmismus)であると評している。フランス現代思想のドゥルーズも、その存在論的な観点の現代性を見抜き、『スピノザと表現の問題』、『スピノザ――実践の哲学』などの研究書を刊行している。 代表作『エチカ』は、副題の「幾何学的秩序によって論証された」という形容が表しているように、なによりその中身が如実に示しているように、ユークリッドの『幾何原論』を髣髴とさせる定義・公理・定理・証明の一大体系である。それはまさにQ.E.D(「これが証明されるべき事柄であった」を示すラテン語の略)の壮大な羅列であり、哲学書としてこれ以上ないほど徹底した演繹を試みたものであった。 この著作においてスピノザは、限られた公理および定義から出発し、まず一元的汎神論、次いで精神と身体の問題を取り上げ、後半は現実主義的ともいえる倫理学を議論している。
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