古代ローマを夢見てとは? わかりやすく解説

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古代ローマを夢見て

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:47 UTC 版)

オットー3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「古代ローマを夢見て」の解説

オットー3世古代ローマ帝国宮殿建てられていたパラティーノの丘古代ローマ様式宮殿新たに造営し古代ローマ伝統受け継ぐギリシャ宮廷様式祭典挙行オットー3世は自らを「イエス・キリスト下僕」「使徒たち下僕」「世界皇帝」と称した998年にはまたジェルベールラヴェンナ大司教の座を与えた999年2月18日グレゴリウス5世が謎の急死遂げると、ジェルベールシルウェステル2世として教皇座に就けたオットー3世は自らを初のキリスト者皇帝コンスタンティヌス1世に、そしてジェルベールシルウェステル1世なぞらえて命名である。またオットー3世は、コンスタンティヌス1世シルウェステル1世交わしたとされていたコンスタンティヌスの寄進状を「いい加減で虚構のもの」として取り消すとともに改め所領寄進をしている。 998年から1000年の期間、オットー3世幾度か巡礼行っている。南イタリアのガルガノ半島ガエータへ赴き、ガエータではロッサノの聖ニルス会っている。また聖ロムアルドからは修道士になるよう勧められてもいる。ローマティベリーナ島聖堂建設し、聖アダルベルト聖遺物聖バルトロメオ皮膚納めた現在の聖バルトロメオ教会である。そしてオットー3世手本とするカール大帝が眠るアーヘン紀元千年訪れている。 1001年ローマ近郊ティヴォリ反乱発生オットー3世鎮圧する住民の命は助けた。しかしティヴォリ敵手とするローマ住民らはティヴォリ破壊要求。この不満によりローマ市民トゥスクルムグレゴリウス率いられ反乱起こし宮殿包囲され教皇ともどもローマから追放されラヴェンナ撤退したオットー3世は兵を招集し再征服行おうしたものの、パテルノ城(ファレーリア)にて1002年1月23日21歳死去した折りしも婚約相手ギリシャ皇女バシレイオス2世の姪、コンスタンティノス8世の娘のゾエといわれているが詳細不明)がプッリャ上陸したときであった独身で子がなかったため、又従弟バイエルン公ハインリヒ4世ハインリヒ2世の子)が即位したオットー3世死因は、父と同じくマラリアよるものと言われている。これはラヴェンナ周囲湿地であったからである。また一説にはクレッシェンティウス2世寡婦ステファニアオットー3世誘惑し毒を盛ったとも言われている。 オットー3世遺体兵士によってカール大帝の眠るアーヘン埋葬されたが、現在では失われている。 「オットー3世は高い教養を身につけたであった」。家庭教師相談役であったジェルベール助力を得、「またイタリアひとびと交際したおかげでオットー3世自分のためにすばらしコレクション築いて皇帝図書館偉大な伝統蘇らせることができた。これらの本のうちいくらかは、彼の後継者ハインリヒ2世によりバンベルク司教座聖堂図書館移され、今も、その地に残っている」。 グリム兄弟ドイツ伝説集』には、オットー3世をめぐる伝説4話記されている。477番「打ち殺されなかったオットー」(Ottoßt sich nicht schlagen)では、幼くして王位就いたオットー後見役務めていたのが、伯父司教ブルーノBrunoであったある日、王は入浴中折檻され、泣いて無駄だった。それで幼王はベッドに、死んだ子供を置かせ、自分物陰隠れていた。やってきた伯父は王が死んだものと思ったその後、王の後見役マインツ司教ヴィレギス(Willegis)に移ったという。 479番「無実騎士」(Der unschuldige Ritter)と480番「オットー帝の遺族裁判」(Kaiser Ottolt Witwen- und Waisengericht)はともに、王妃による讒言引き起こした事件語っている。王妃は、ある家臣の気を惹こうとする拒絶にあうと、かれが王を裏切ろうとしたと王に訴える。家臣死刑処されるその後、両伝説は別々の展開をみせる。前者伝説では、家臣の首が落とされる際に首から流れたのが血ではなくミルクであったことから真実明らかになる。王は妃を処刑しその後結婚せず世継ぎを残さなかった、と締めくくっている。後者伝説では、死刑場に連行され伯爵が妻に真実伝える。未亡人は王に夫の無実訴える。火傷せずに熱鉄を持つ神明裁判がその証拠となる。王は妃を処刑し自身誤審4つの城未亡人与えることによって償う481番「カール墓所訪れたオットー3世」(Otto III. in Karls Grabe)では、オットーカール大帝墓所訪れ、そこに生きているのような姿の大帝見たとされている。

※この「古代ローマを夢見て」の解説は、「オットー3世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
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