古代ローマ以外での類似の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/15 16:30 UTC 版)
「ダムナティオ・メモリアエ」の記事における「古代ローマ以外での類似の事例」の解説
ダムナティオ・メモリアエと同様な制度は、古代ローマ以外でも行われている。古代エジプトではアメンホテプ4世(アクエンアテン)の像の顔の部分が後継者らによって削り取られ、トトメス3世はハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。また、ラムセス3世を暗殺した妃ティイとその息子ペンタウアーは公判記録以外のあらゆるものからその名前が抹消された。 近現代でも失脚した政治家の肖像や彫像が破壊される例は枚挙に暇がないが、公式の写真から当人の姿のみがそれと分らないように抹消された例としてはソビエト連邦でスターリンと対立したレフ・トロツキー、スターリン時代に内務人民委員部長官を務めたニコライ・エジョフ、中国共産党副主席であった林彪のケースなどがある。
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