医学における「自主権」と「自己決定権(身体的自主権)」
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「オートノミー」の記事における「医学における「自主権」と「自己決定権(身体的自主権)」」の解説
「医療倫理#自主尊重原則」および「生命倫理#原則」も参照 医学的には、患者の個人的な自主性・自己決定権(オートノミー)を尊重することは、医学における多くの基本的な倫理原則(医療倫理、生命倫理、研究倫理を参照)の1つとされている。自主(オートノミー)とは人が自分で自由な意思決定をすることができるべき、というものである。この自己決定権(オートノミー)を尊重することは、インフォームド・コンセントとシェアード・ディシジョン・メイキングの中心的なコンセプトである。しかしながら、今日の医学の実践において不可欠であると考えられてはいるものの、この考え方は過去、第二次世界大戦後の数十年ほどの間に発展したものである。トム・ビーチャム(英語版)とジェイムズ・チルドレス(英語版)は、「Biomedical ethicsの諸原理(Principles of biomedical ethics 1979)」(現「生命医学倫理」)において、「4つの原則」 患者の自主尊重原則(respect for a patient's personal autonomy) - 個人として尊重し、その自己決定権を尊重する。患者は自分の治療を拒否または選択する権利がある。 与益原則(善行)(beneficence) - 医療者は患者の最大の利益のために行動すべきである。 無加害原則(無危害)(non-maleficence)- 害悪を加えない。または、"実用的には" - 害よりも善を促進する。 公平・正義の原則(justice/equality)- 乏しい健康資源の分配、および誰がどの治療を受けるかの決定に関する公平原則。 を提唱した。 その本では、ナチスドイツ後の、ニュルンベルク裁判は(T4作戦ほか)人体実験(非倫理的な人体実験)の被験者の身体的インテグリティと個人的自主権(オートノミー)を侵害した恐ろしく搾取的な医学的「ナチス・ドイツの人体実験」の詳細を説明している。これらの事件は、医学研究への自発的参加の重要性を強調したニュルンベルク綱領のような医学研究における保障措置の要求を促すものとなった。ニュルンベルク綱領は、研究倫理に関する現在の多くの文書(ヘルシンキ宣言、リスボン宣言、ベルモント・レポート、等々)の前提となっていると考えられるようになった。 患者の自主性の尊重を強調する動きは、医療において自主性が損なわれやすく、構造的に、患者の脆弱性が生まれる事を指摘された事から生じたものである。そして、患者の自主尊重は医療に組み込まれるようになり、患者は受ける医療サービスについて個人的な決定を下すことができるようになっていった。ただ、自主性にはいくつかの側面と、医療運営に影響を与える課題が残されている。患者が扱われる方法は、患者の主体性・自主性を弱体化させる可能性があり、このため、患者とのコミュニケーションが非常に重要なものとなる。患者と医療従事者との間の良好な関係は、患者の自主性が尊重されることを確実にするために、明確に定義され、指針などの文書かを図る必要がある。人間は人生の他の状況と同じように、患者としても他の人の管理下に置かれることを本来は望まないのです。 患者の自主性は研究の文脈においてのみ適用されるわけではない。医療を受ける患者は、医師に支配されるのではなく、自主性を尊重して治療を受ける権利を持っている。これを父権主義(パターナリズム)の問題と呼ぶ。父権主義は患者にとって全体的に良いものであることを意図してはいるものの、患者の自主を大いに、容易に妨げることがある。そのため、確立された「治療的関係(英語版)(Therapeutic relationship)」を通して、患者と医師の間の思慮深い対話を通じたコミュニケーションが、患者が意思決定への参加者とし、より良い結果をもたらすもとなる。 自主性(オートノミー)にはさまざまな定義があり、その多くは社会における個人の文脈に置いている。また、「関係自主性(relational autonomy)」は、人は他人との関係を通して定義されることを示唆するものです。また、「支持された自主性(supported autonomy)」 は、特定の状況において長期的に自主性を守るために一時的に妥協すべきことがあることも示唆している。他の定義では、その人の権利がいかなる状況下でも妥協されるべきではない封じ込められたそして自給自足的な存在としてその人をイメージするものなどである。 現代の医療がより大きな患者の自主性に移行するべきか、それとも伝統的な父権主義的(パターナリスティック)なアプローチを固守べきかについても、異なる見解が存在する。例えば、現在行われている患者の自主性尊重は、治療における誤解や文化の違いといった欠陥に悩まされているということ、そして専門知識を持つ医療専門家は、父権主義に基づくべきである、とする医療者側からの議論などである。他方、患者の自主性を改善させていくためには、患者と医療従事者との間の関係理解を増加させていく必要がある、というアプローチも提示されている。 トム・ビーチャム(英語版)とジェイムズ・チルドレス(英語版)はインフォームド・コンセントの7つの要素として、しきい値の要素(能力と自発性)、情報の要素(開示、推奨、理解)と同意の要素(決定と承認)を提示した。ただ、ハリー・フランクフルトのような何人かの哲学者はビーチャムとチルドレスの基準は不十分で、意図的に行動する上で、自己の欲求について高次の価値観を形成する能力を行使する場合においてのみ、その行動は自主的(オートノミー)なものであると考えることができると主張している。 特定の特殊な状況では、政府は、人の命と幸福を維持するために、身体的インテグリティを保護する権利を一時的に無効にする権利を有する場合がある。このような制度は、「支持された自主性(supported autonomy)」の原理を用いて説明することができる。一例として、メンタルヘルスにおけるユニークな状況を記述するために開発された概念(例としては、強制摂食で死亡者の摂食障害の拒食症、または一時的な治療を精神病性障害のある人の抗精神病薬による治療、物議を醸す場合もあるが、「支持された自主性(supported autonomy)」の原則は、市民の命と自由を守るための政府の役割と一致している。Terrence F. Ackerman はこれらの状況での問題を強調し、医師または政府がこの一連の行動をとることによって、患者の自主性に対する病気の制約的効果として価値の矛盾を誤って解釈する危険を冒すと主張している。 アメリカ合衆国においては、1960年代以来、医者が医学部にいる間に医師が生命倫理学コースを受講するという要件を含む、患者の自主を尊重する意識を高める試みがなされてきた。しかしながら、患者の自主尊重を促進することへの大規模な取り組みにもかかわらず、先進国における医学に対する国民の不信は残ったままである。
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