写真と芸術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 19:34 UTC 版)
写真が芸術かどうかは、しばしば議論されるところである。こうした議論は、写真の初期から存在していた。写真はしばしば「ただの記録技術であり、芸術ではない」という攻撃を受けてきた。単なる画像の機械的生産に過ぎないと主張する者もいる[要出典]。 20世紀の間に、芸術写真とドキュメンタリー写真の両方が英語圏の美術界とギャラリー業界に受け入れられてきた。アメリカ合衆国では、少数の学芸員が、写真をそうした業界に取り込ませるために生涯をかけた。中でも傑出した学芸員・編集者はアルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、ジョン・シャーカフスキー、およびヒュー・エドワードである。 「芸術写真」は1920年代の日本においても最新動向として紹介され、1921年に東京では福原信三が写真芸術社を、それに先立ち大阪では上田竹翁(別名:上田寅之助、箸尾寅之助、竹軒楽人)が次男の箸尾文雄や写真家の不動健治らとともに芸術写真社を興し、雑誌を発行して盛んに宣伝した。東京だけでなく、この時期には大阪も芸術写真の一つの中心地であり、数多くの「写真倶楽部」が活動していた。漫画家の手塚治虫の父親・手塚粲もこうした写真倶楽部のひとつ「丹平写真倶楽部」に参加し、アマチュア写真家として作品を発表していた。 写真を積極的に自らの作品に取り入れる美術家もいる。たとえば日本の場合、森村泰昌は名画の中などに(ときには複数の)自分が「侵入」することで、新たな表現スタイルを獲得している。澤田知子は自動証明写真機で撮影した自分の姿に始まり、セルフポートレイトを駆使した写真活動を展開している。今道子は魚や野菜や衣類を使った造形を写真に収めている。3人ともその活動は「画像の機械的生産」の範囲内かもしれないが、いずれも写真家や美術家若しくは芸術家に含まれている。 写真は対象の選択、対象と撮影者との物理的距離、対象の様態、撮影するタイミングなどによって、撮影者の心や世界に対する態度を反映する。写真は少なくともこの意味で確かに撮影者の創作物であり、表現の手段である。そして同時に印画紙出力などで介在する技術者の手腕の産物でもある。また撮影対象や画像加工技術などにより著作者(創作者)の発想や手腕が写真を確実に芸術(美術:視覚芸術)に属するものといえる。 しかし、だからといって「すべての写真が絵画や彫刻のような芸術である」ということは記録手段伝達手段としての価値が他の表現手段よりもある(報道写真、Wikipedia向きの写真など)以上、あり得ない。それは「法律や取扱説明書が文芸・文学ではない」ということと同じであり、写真がある程度「中立性」「検証可能性」に耐えられる媒体であるからである。言い換えれば、「写真は芸術に留まらない存在である」ということである。鉛筆で、小説も詩も規則もマニュアルも書けるし、略図も絵も描くことができる。カメラ類も同じような広がりを持つ機能を果たすことができるということである。 現在も情報伝達の手段としての「絵」はあるが、むしろ、写真の発達によって客観性・写実性では写真に一歩譲る絵画が、描き手(えがきて、かきて)の調子の構築、筆致・筆さばきその他で創作者の主観を反映することが望まれる芸術に特化するようになったと解釈できる。 こういった点で、「写真は芸術かどうか」は「落書きの絵が芸術かどうか」という問題とは根本的に異なる。
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