写真と絵画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 19:34 UTC 版)
写真と絵画は本来性質が異なる。しかし、カメラ・オブスクラが絵画のデッサンの補助具として用いられてきたため、写真映像は、文化的に長らく絵画との比較において読み解かれてきた。写真と絵画の関係は、写真の誕生以降、組んず解れつ展開してきた。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ドミニク・アングルなどの画家は写真の再現性に驚いたとされる。ただし、写真は平面的な再現を得意としていても絵画のように空間感や形態感を描き出すことはできない。アングルは表向き写真を批判していながら実際には写真を絵画制作に利用していたのだが、これは彼が伝統的に絵画の根本を支えて来たものがこのように写真に流出しないものであると知っていたからだと考えられる。このことに関して画家のフェルナン・クノップフは光源やライティングをどれほど工夫しても、覆い焼き・焼き込みなどを駆使しても絵画に見られるような卓越したバルール(色価)を構成することはできないといった旨のことを述べている。このことはピクトリアリスムおよびその延長にある写真に或る影を落とす。なお、クノップフは着色写真・着彩写真も手がけており、そこには代表作のバリアントとでも言うべきものも含まれている。写真との関係について言及される画家は他に、エドガー・ドガ、フランシス・ベーコン、ゲルハルト・リヒター、デイヴィッド・ホックニー、チャック・クロース(英語版)などがいる[要出典]。また、17世紀のオランダの画家フェルメールはカメラ・オブスクラに着想を得ていたといわれる。 写真術が誕生した最初期、写真と絵画の関係において争点となったのは、肖像のジャンルである。かつて肖像画を持つことは階級の高い者や富裕層の特権だった。しかし、写真が誕生すると、絵画より安価で精緻な描写性を持つことが注目され、肖像写真が社会現象になった。歴史画家ポール・ドラローシュは写真の誕生を受け、「今日を限りに絵画は死んだ」と叫んだという逸話があるように、当時、多くの画家が写真の登場によって職業写真家に転身した。 一方で、写真が絵画より劣るとみなされる場合もあった。ピクトリアリスム運動は絵画の影響を強く受けた活動であり、写真は古くは絵画そのものを期待されていた。ピクトリアリスム運動で、写真家たちは、主題や表現性で絵画を模倣、追随し、写真を芸術として認知させようとした。他方で、鮮明な物の形の記録が写真本来の持ち味であるとしてストレートフォトグラフィも現れた。 現代では画家が写真を制作に使用することを批判する向き[要出典]もあるが、現代における写真やカメラの使用と、カメラ・オブスクラを昔の画家が用いたこととは、本質的・根本的に事態の質が異なるものではない。そして、写真を制作における図像の基底に用いる画家は多い。一般的に言って、画家などの作家が撮影できる写真は写真家が撮影する写真に比して限定的なものであり、実景よりも平板であるために制作が困難なものになる場合もあるが、写真が本人の制作にとって利用価値が高いならば、作家は臆することなく写真を制作に用いるべきだろう[要出典]。
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