八女古墳群
乗場古墳
石人山古墳
岩戸山古墳
善蔵塚古墳
弘化谷古墳
丸山塚古墳
丸山古墳
茶臼塚古墳
八女古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/12 15:09 UTC 版)
座標: 北緯33度13分58秒 東経130度34分09秒 / 北緯33.23278度 東経130.56917度
- ^ “悠久の歴史”. 八女市. 2021年2月20日閲覧。
- ^ a b “筑紫君磐井に会いたい(八女観光)”. 八女市茶の国観光案内所. 2021年2月20日閲覧。
- ^ 筑後市教育委員会 1993, p. 42 - 45.
- ^ 『図説日本の史跡3 原始3』、同朋舎出版、1991、p.206
- 1 八女古墳群とは
- 2 八女古墳群の概要
- 3 参考文献
八女古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:24 UTC 版)
詳細は「磐井 (古代豪族)#墓」を参照 八女古墳群は八女丘陵の範囲にあり、前方後円墳12基・装飾古墳3基を含む古墳約300基からなる。その築造は4世紀前半から7世紀前半に及ぶ。筑紫君(筑紫国造の氏族。#人物を参照。)一族の墓に相当すると推定されている 以下に筑紫国造の墓と関係すると思われる八女古墳群中の古墳を記載する。なお以下の古墳はすべて旧上妻郡内にある。 石人山古墳(せきじんさんこふん、北緯33度14分14.5秒 東経130度31分03.4秒 / 北緯33.237361度 東経130.517611度 / 33.237361; 130.517611 (石人山古墳)) - 福岡県八女郡広川町一条にある全長107メートルの前方後円墳。5世紀前半~中頃の築造。この古墳は昭和中頃までは磐井の墓とする説が有力視されていたが、現在は岩戸山古墳の2世代前にあたり磐井の祖父の墓であると推定されている。 鶴見山古墳(つるみやまこふん、北緯33度13分59.1秒 東経130度34分27.3秒 / 北緯33.233083度 東経130.574250度 / 33.233083; 130.574250 (鶴見山古墳))- 福岡県八女市豊福にある墳長87.5メートルの前方後円墳。6世紀中頃の築造で、岩戸山古墳の次世代にあたる古墳である。近年、磐井の息子・葛子(くずこ、後述)の墓である可能性が高いとの見方が有力になっている。ただし葛子の墓を鶴見山古墳と同じく岩戸山古墳次世代であり八女古墳群中の古墳である八女市吉田所在の乗場古墳(のりばこふん、北緯33度13分51.8秒 東経130度33分26.7秒 / 北緯33.231056度 東経130.557417度 / 33.231056; 130.557417 (乗場古墳))か八女郡広川町六田所在の善蔵塚古墳(ぜんぞうづかこふん、北緯33度14分02.4秒 東経130度34分04.2秒 / 北緯33.234000度 東経130.567833度 / 33.234000; 130.567833 (善蔵塚古墳))に推定する説もある。 岩戸山古墳(いわとやまこふん、北緯33度13分47.49秒 東経130度33分9.77秒 / 北緯33.2298583度 東経130.5527139度 / 33.2298583; 130.5527139 (岩戸山古墳))- 福岡県八女市吉田にある前方後円墳。現在では『筑後国風土記』逸文に詳述されている筑紫磐井(後述)の墓に比定されている。この古墳の墳丘長は135メートルで、北部九州では最大、かつ当時の畿内大王墓にも匹敵する規模の古墳である。その築造年代は6世紀前半と推定され『日本書紀』の年代と一致し、また石人・石馬を含む多くの石製品が出土し、古墳東北隅には別区の存在も確認され、多くの点で『筑後国風土記』逸文とも一致を見せている。
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