全日本選手権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:02 UTC 版)
1994年、2階級の特別昇格により国際A級ライセンスを取得する。Team高武から全日本ロードレース選手権GP250クラスにフル参戦。マシンはホンダRS250R。転倒の相次ぐシーズンだったが、終盤のTIサーキット英田で初優勝をとげる。鈴鹿8耐にも初参戦。辻本聡とのペアで挑むもリタイアに終わる。 1995年、前年の活躍を受けてHRCからワークスマシン・ホンダNSR250(型落ち)を貸与される。2勝を上げランキング5位。ホンダからワークススペックのNSR250を貸与された1996年には4勝でランキング2位。ロードレース世界選手権日本GP(鈴鹿)にスポット参戦、3位に入る。 1997年、ホンダワークスのカストロール・ホンダに加入、チャンピオン候補の筆頭となる。シーズン開幕前の水曜日に衝突した際に車外に投げ出され、右足大腿骨を骨折するほどの交通事故を起こし、当時居住していた浦和の病院に入院した大治郎はその週に開催される全日本開幕戦を欠場、スポット参戦予定の日本GPへの参戦も病院の入院時にダメかもしれないと見舞いに来た武田に言うほど危ぶまれたが、大治郎は欠場を促す医師を「絶対に勝つから」と説得、骨折を抱えた体で日本GPに臨んだ。予選3位からスタートし、ホンダの先輩でGPレギュラーの宇川徹、1993年GP250クラス世界王者の原田哲也とトップ争いを繰り広げ、最終ラップの最終コーナーでトップに立ち、優勝。鈴鹿8時間耐久レースでも唯一のポールポジション獲得し、全日本でも8勝を上げ、初の全日本チャンピオンに輝く。 チャンピオンとして臨んだ1998年、HRCがNSR250をフルモデルチェンジ、熟成が進まず大治郎のみならず世界選手権でもRSやRSのエンジンに独自設計のフレームを組み合わせていたTSR勢を除いてホンダGP250勢は不振に陥った。その中でもヤマハ勢の中野真矢、松戸直樹とのバトルを制して日本GPを連覇しレース後には今までのレースで一番嬉しい優勝と言い、改めてその才能を世界にアピールするも、全日本では1勝も上げることなく、怪我に泣かされ筑波の決勝で鎖骨を骨折しリタイヤした後復帰したもののTIサーキット英田でのテスト時に指の腱を切断した事で終盤の2戦に出れなかった事、リタイアが2度あったことからランキング8位に低迷してしまう。また、最終戦のSUGO戦では代役としてRS勢で唯一全日本ロードレースで勝利した玉田が代役として招聘されている。また、この年の鈴鹿8耐ではヘアピンの先でチェーンが切れ、切れたチェーンが各部を暴れた際のダメージが大きくリタイア。 前年の苦悩を繰り返すまいと、1999年はNSR250の開発に尽力した。ヤマハ・YZR250の松戸直樹とのタイトル争い。後半戦に4連勝と巻き返したが、最終的に松戸とポイント・勝利数・上位順位獲得回数で並び、レギュレーションによって前年のランキングが上位だった松戸にチャンピオンの座を奪われた。この年の鈴鹿8耐はワークスのHRCではなく、サテライトのチーム高武と桜井ホンダの合同チームから盟友の玉田誠と組んで参戦。加藤が転倒し、その際に東コースショートカットの1週減算のペナルティのため、優勝こそ逃したが、それまでは優勝した岡田とバロスのマシンと優勝を争っていた。
※この「全日本選手権時代」の解説は、「加藤大治郎」の解説の一部です。
「全日本選手権時代」を含む「加藤大治郎」の記事については、「加藤大治郎」の概要を参照ください。
全日本選手権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 20:03 UTC 版)
1987年 全日本RRジュニア250CCクラス・TTF3クラス ダブルエントリーフル参戦。 1988年 全日本RRジュニア250CCクラスフル参戦。ランキング3位。 1989年 YAMAHAワークスと契約。全日本RR国際A級F3クラスフル参戦。同年最終戦よりキリンメッツRTヤマハとして出場。国際A級F3ランキング3位。 1990年 キリンメッツRTヤマハより全日本RR国際A級250CCクラスフル参戦。マシン/TZ250改 ランキング15位。 1991年 キリンメッツRTヤマハより全日本RR国際A級250CCクラスフル参戦。マシン/TZ250改 ランキング16位。 1992年 YAMAHA TZ250開発ライダーに抜擢。YAMAHAワークスマシンYZR250と同等のタイムを出しながら、結果に繋がらず。全日本RR国際A級 ランキング8位 1993年 YAMAHA TZ250開発。全日本RR国際A級 ランキング7位。
※この「全日本選手権時代」の解説は、「福智学」の解説の一部です。
「全日本選手権時代」を含む「福智学」の記事については、「福智学」の概要を参照ください。
- 全日本選手権時代のページへのリンク