伊豆討入り
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堀越公方足利政知の子茶々丸(11代将軍足利義澄の異母兄)を殺害しようとしたが堀越御所から命からがら逃げ切る。がその後宗瑞に自害に追いやられる。宗瑞率いる伊勢氏が伊豆を奪った事件は、旧勢力が滅び、新興勢力が勃興する下克上の嚆矢とされ、荒廃した京都を捨てて、関東の沃野に志を立てたとされてきたが、中央の政治と連動した動きを取っていることが近年の研究で分かってきた。 享徳の乱で鎌倉公方足利成氏が幕府に叛き、将軍の命を受けた今川氏が鎌倉を攻めて占領。成氏は古河城に逃れて古河公方と呼ばれる反対勢力となり、幕府方の関東管領山内上杉家と激しく戦った(享徳の乱)。将軍義政は成氏に代わる鎌倉公方として異母兄の政知を送るが、成氏方の力が強く、鎌倉に入ることもできず伊豆北条を本拠に留まって堀越公方と呼ばれるようになった。文明14年(1483年)に成氏と上杉氏との和睦が成立、政知の存在は宙に浮いてしまい、伊豆一国のみを支配する存在となった。 政知には長男の茶々丸以外に、正室の円満院との間に清晃(のちの足利義澄)と潤童子をもうけていた。清晃は出家して京にいたが、政知は勢力挽回のために日野富子や管領細川政元と連携してこの清晃を将軍に擁立しようと図っていたとの噂があったと長享元年の興福寺別当尋尊の日記に残っている。なお、この計画に氏親と宗瑞が関与していたとする説もある。 延徳3年(1491年)に政知が没すると、茶々丸が円満院と潤童子を殺害して堀越公方を継いだ。 延徳3年(1491年)5月までは「伊勢新九郎」の文書が残っているが、明応4年(1495年)の史料では「早雲庵宗瑞」と法名になっており、この間に出家したと見られる。この時代の武士の出家には政治的な意味があることが多く、清晃の母の円満院の横死が理由とする見方または伊豆乱入に伴う幕府奉公衆からの退任を意味するとする見方などがある。 明応2年(1493年)4月、管領細川政元が明応の政変を起こして10代将軍義材(後に義稙と改名)を追放。清晃を室町殿(実質上の将軍)に擁立した。清晃は還俗して義遐を名乗る(後に義澄と改名)。権力の座に就いた義遐は母と弟の敵討ちを幕府官僚の経歴を持ち、茶々丸の近隣に城を持つ宗瑞へ命じたとされる。これを受けて、同年夏か秋頃に伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃し、伊豆の豪族である鈴木繁宗、松下三郎右衛門尉らがいち早く参じた。この事件を伊豆討入りといい、この時期に東国戦国期が始まったと考えられている。 後世の軍記物では、この伊豆討入りに際して、自ら修善寺に湯治と称して密偵となって入り、伊豆の世情を調べたとしている。また、「討入りは、伊豆国の兵の多くが山内上杉家に動員され上野国の合戦に出て手薄になったのを好機とした。自らの手勢200人と氏親に頼んで借りた300人の合わせて500人が、10艘の船に乗って清水浦を出港。駿河湾を渡って西伊豆の海岸に上陸すると、住民は海賊の襲来と恐れて家財道具を持って山へ逃げた。宗瑞の兵は一挙に堀越御所を急襲して火を放ち、茶々丸は山中に逃げ自害に追い込まれた」と書かれている。 この他「伊豆国韮山城(現伊豆の国市)を新たな居城として伊豆国の統治を始めた。高札を立てて味方に参じれば本領を安堵すると約束し、一方で参じなければ作物を荒らして住居を破壊すると布告した。また、兵の乱暴狼藉を厳重に禁止し、病人を看護するなど善政を施し、茶々丸の悪政に苦しんでいた伊豆の小領主や領民はたちまち従った。そして、それまでの煩瑣で重い税制を廃して四公六民の租税を定め領民は歓喜し、伊豆一国は30日で平定された」と言われる。 軍記物語などでは自害したと言われる茶々丸は史書においては堀越御所から逃亡しており、武田氏、関戸氏、狩野氏、土肥氏らに擁せられて、数年にわたり伊勢氏に抵抗した。宗瑞は伊豆の国人を味方につけながら茶々丸方を徐々に追い込み、明応7年(1498年)8月に南伊豆にあった深根城(下田市)を落として、5年かかってようやく伊豆を平定した。なお、同年の8月25日に明応の大地震と津波で伊豆・駿河両国は大被害を受けており、震災で深根城一帯も甚大な被害を受けて抵抗不可能になった茶々丸を動員可能な少数の手勢で討ち取ったとみられており、この際に茶々丸を擁していた城主の関戸吉信らを皆殺しにして力を示したとされる(ただし、茶々丸の死去地を甲斐国とし、深根城の皆殺しは別の出来事とする見方もある)。 伊豆を平定する一方で、宗瑞は今川氏の武将として、明応3年(1494年)頃から今川氏の兵を指揮して遠江へ侵攻、中遠まで制圧している。宗瑞は氏親と連携して領国を拡大していく。
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