伊豆組=山口組と宮本組・大島一家の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 01:13 UTC 版)
「夜桜銀次事件」の記事における「伊豆組=山口組と宮本組・大島一家の対立」の解説
そのようななかで、伊豆組を見張っていた大島一家(大島匡和。宮本組とは兄弟分。住吉一家幹部・鷹木末雄の舎弟)組員と、伊豆組組員が喧嘩となる。伊豆は大島一家・宮本組が手を組んで自身らを狙っているものと判断し、石井や山本広に対しそう主張。山本広は平尾を殺害したのは宮本組だと地道に電話で報告し、これを受けて田岡は、企業舎弟であった神戸市の船内荷役会社から2000万円を調達、宮本組との戦費に当てた。 2月に入り、中間市の大野組・大野留吉組長が、伊豆組・石井組と宮本組・大島一家の仲裁に乗り出し、石井一郎に手打ちを打診。大野は別府抗争で石井一郎と井田組・井田栄作組長を仲裁していた。6日に中間市の大野宅で大野と山本広・伊豆・石井とで話し合いが持たれるものの調停は決裂した。大野宅を辞去した山本広ら3人は関西汽船「くれない丸」に乗って神戸市に向かい、その一方で大野組が宮本組・大島一家の支援にまわり、八幡市の住吉一家も宮本組・大島一家側の陣列に加わる。 翌7日朝、地道・山本健一・安原政雄が神戸港で山本広らを迎え、地道組事務所で今後の方針を話し合う。その結果、福岡市に山口組組員を動員し、現地の指揮を山本健一が執ることが決まった。夜にも山口組は、石井組と伊豆組を応援するために「平尾国人の葬儀参加」を名目として、三宮・神戸・明石・加古川・姫路から250人の応援部隊を、それぞれ夜行列車「霧島」・「日向」・「高千穂」に乗せて博多に送った。姫路市の竹中正久(後の四代目山口組組長)も弟の武ら9人の竹中組組員を連れて姫路の湊組(組長は田岡一雄の舎弟の湊芳治)組員・渋谷組(組長は田岡一雄の舎弟の渋谷文男)組員とともに、姫路9時45分発寝台専用列車「日向」に乗って、福岡市に向かった。
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