以降のジェット爆弾開発計画
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「JB-2 (ミサイル)」の記事における「以降のジェット爆弾開発計画」の解説
1944年1月、JB-3ティアマット亜音速空対空ミサイルの開発はプロジェクトMX-570として開始された。開発担当はヒューズ社であり、NACAの援助とともにティアマットを開発した。試作型のJB-3は、まず最初にブースターを付加して地面から放たれ、次にA-26インベーダー航空機から発射された。 JB-3は二重推力(加速・持続)固体燃料ロケットエンジンで推進され、安定性保持と制御のために、操縦用の比較的大きな翼が3つつけられた。ティアマットはセミアクティブレーダーシーカーを使用し、弾頭は近接信管で起爆した。JB-3の試験と開発は第二次世界大戦の後まで続いた。しかし、最終的に1946年後半か1947年前半には計画は終了した。その時点で、より有望な空対空ミサイルの開発が開始された。AAM-A-1ファイアーバードとAAM-A-2/F-98/GAR-1ファルコンである。 JB-4の開発はプロジェクトMX-607として始まったもので、基本的にはGB-4滑空爆弾にフォードPJ31パルスジェットエンジン(JB-2に装備されたものと同型)を装着し、射程を120kmに延長したものである。GB-4と同じく、これにはAN/AXT-2テレビ送信機を装備し、発射した航空機に配置されたオペレーターにむけ、TVカメラからの画像を送信した。オペレーターはミサイルの進路を変えるために無線指令を送った。JB-4は、少数の公式記録では地対地ミサイルとして記載される。そのため名称からは地上発射も意図しているように見える。このミサイルは1945年に試験が行われたが、計画は第二次世界大戦終了後に中止された。 JBシリーズのミサイルのうち、ナンバー5、ナンバー6、ナンバー7とナンバー9は設計や概念の段階で全てがキャンセルされた。JB-5はプロジェクトMX-595で計画され、翼がなく、無誘導の空対地ロケットだった。射程は6kmである。JB-6はプロジェクトMX-600で構想された。旋動式の安定機構を持ち、超音速の空対地誘導弾として企画された。JB-7はプロジェクトMX-605で企画された。4,400kg、ターボジェット推進、地対地巡航ミサイルで、射程は640kmとされる。興味深いことにアメリカ空軍の資料では、JB-7の呼称をジェット推進の高速研究機に充てているが、適当な設計案が見出されなかったために中止された。しかしながらJBシリーズの視点からみればこの観点は誤りである。JB-8の呼称は、地対地誘導ミサイルとして企画されたMX-606プロジェクトに短期間割り当てられた。これは後期の呼称をSAM-A-1 GAPA (Ground-to-Air Pilotless Aircraft)と記載している。JB-9の呼称は短距離地対地ミサイルのために予約されたが、この計画は実際に開始されると全く不適だった。JB-9プロジェクトは、おそらくプロジェクトMX-626と同様であり、「ジェット推進の短距離地対地誘導ミサイル」と文書に記載されている。 ノースロップJB-1の開発がターボジェットの失敗から中止された後、残余の製造済みのJB-1は、パルスジェットで動く構造に改修された。これはJB-10と呼称された。これはフォードPJ31パルスジェットエンジンを1基装備し、中央線上に設けられた覆いの内部に配置された。エンジン周囲の冷却空気の流れを許容するため、後部はパルスジェットの直径よりも大きかった。JB-1の突出した翼内爆弾倉は、翼付け根から撤去され、内蔵式の弾頭部分によって代替された。原型のJB-1(およびJB-2)の様に、JB-10は日本侵攻時に投入される、低精度のスタンドオフ兵器であることが想定された。このミサイルは予定された単純な誘導装置を用い、発射された方向へ、予定された距離を飛行し、それから地面へ急降下する。JB-10の初飛行は1945年4月に行われたものの、成功することは無かった。実際、JB-10の発射で、10回の試験のうち、8回が失敗し、2回が部分的な命中を記録した。開発の問題と(システムのいくつかの構成要素に起因する)、この種の兵器の必要性が失われたことから、1946年1月末にJB-10の計画は終了された。
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