今井功 (裁判官)
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今井 功 いまい いさお |
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生年月日 | 1939年12月26日(85歳) |
出生地 | ![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 京都大学法学部[1] |
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任期 | 2004年12月27日 - 2009年12月25日 |
前任者 | 北川弘治[2] |
後任者 | 千葉勝美[3] |
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任期 | 2002年11月6日 - 2004年12月26日 |
前任者 | 泉徳治[1] |
後任者 | 仁田陸郎[4] |
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任期 | 2002年2月21日 - 2002年11月5日 |
前任者 | 島田仁郎[5] |
後任者 | 田中康久[1] |
今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、日本の弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元裁判官。東北大学法科大学院客員教授[6][7]。最高裁判所判事を務めた[8]。退官後は第一東京弁護士会に弁護士登録し、弁護士となる。兵庫県神戸市垂水区出身[9]。
異動履歴
1958年(昭和33年)兵庫県立星陵高等学校、1962年(昭和37年)3月に京都大学法学部卒業[10][7]。同年4月に第16期司法修習生、1964年(昭和39年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官[1][8][7]。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
- 1964年(昭和39年)4月10日 - 1967年(昭和42年)4月9日:東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補[8]
- 1967年(昭和42年)4月10日 - 1967年(昭和42年)5月31日:東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、東京簡易裁判所判事[8]
- 1967年(昭和42年)6月1日 - 1970年(昭和45年)4月19日:最高裁判所事務総局総務局付・東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、東京簡易裁判所判事[8]
- 1970年(昭和45年)4月20日 - 1973年(昭和48年)4月1日:函館簡易裁判所判事、函館家庭裁判所・函館地方裁判所判事補[8]
- 1973年(昭和48年)4月2日 - 1974年(昭和49年)4月9日:最高裁判所調査官、東京簡易裁判所判事・東京地方裁判所判事補[8]
- 1974年(昭和49年)4月10日 - 1976年(昭和51年)5月31日:最高裁判所調査官、東京地方裁判所判事[8]
- 1976年(昭和51年)6月1日 - 1980年(昭和55年)4月7日:最高裁判所事務総局民事局第二課長[8]
- 1980年(昭和55年)4月8日 - 1982年(昭和57年)8月19日:最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長兼最高裁判所事務総局広報課付[8]
- 1982年(昭和57年)8月20日 - 1984年(昭和59年)3月31日:東京地方裁判所判事[8]
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 1987年(昭和62年)3月1日:東京地方裁判所部総括判事(民事第19部)[8][11]
- 1987年(昭和62年)3月2日 - 1990年(平成2年)3月14日:東京高等裁判所事務局長[8][12]
- 1990年(平成2年)3月15日 - 1994年(平成6年)12月20日:最高裁判所事務総局民事局長兼行政局長[8][13]。この頃、民事訴訟法の全面改正に携わった[9]。
- 1994年(平成6年)12月21日 - 1996年(平成8年)7月18日:前橋地方裁判所長[8][14]
- 1996年(平成8年)7月19日 - 1998年(平成10年)3月10日:東京高等裁判所部総括判事(第2民事部)[8][15]
- 1998年(平成10年)3月11日 - 2002年(平成14年)2月20日:最高裁判所首席調査官[8][16]
- 2002年(平成14年)2月21日 - 2002年(平成14年)11月5日:仙台高等裁判所長官[8][17]
- 2002年(平成14年)11月6日 - 2004年(平成16年)12月26日:東京高等裁判所長官[8]
- 2002年(平成14年)12月10日:法務省法制審議会委員[18]
- 2004年(平成16年)12月27日:最高裁判所判事[8][2]
- 2005年(平成17年)9月11日:最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票492万9447票、罷免を可とする率7.64 %で信任[19]。
- 2009年(平成21年)12月25日:定年退官[8]
- 2010年(平成22年)4月:第一東京弁護士会登録、TMI総合法律事務所顧問、東北大学法科大学院客員教授[20]
- 2011年(平成23年)6月18日:旭日大綬章を受章[21][22]。
- 6月:株式会社みずほコーポレート銀行監査役、株式会社みずほフィナンシャルグループ監査役[23][24][25]
- 2012年(平成24年)6月:株式会社みずほ銀行監査役
- 2013年(平成25年)7月:株式会社みずほ銀行監査役[26]
担当審理
東京地裁部総括判事として
- 1984年(昭和59年)9月20日、日本航空の客室乗務員が減給の懲戒処分を受けて慰謝料100万円の支払いを求めた訴訟において「勤務時間の繰り上げを当日になって命じるには、勤務協定上の規定があるか、労使の間に慣習があることが必要。日航の場合はどちらもなく、そのような業務命令は出せない」として懲戒処分の無効と慰謝料20万円の支払いを日本航空に命じた[11]。
- 1986年(昭和61年)12月23日、国鉄上野駅人材活用センターに勤務する国鉄労働組合員が「ひげを理由に仕事上の差別や不当な配置転換をされた」として国鉄相手に起こしていた地位保全などの仮処分申請について「国鉄側は本件審尋の途中で、ひげを理由にした仕事差別をしないと言明し実行している」として申請を却下する決定を出した[27]。
最高裁判事として
大法廷判決に対する対応
- 2005年(平成17年)9月11日において行われた衆議院総選挙の小選挙区の区割規定が憲法14条1項等に反していたか。意見(合憲)[28]
- 衆議院議員小選挙区選出議員選挙について候補者届出政党と無所属候補者に対する選挙運動の差異を設けることは憲法14条1項等に反するか。多数意見(合憲)
- 国籍法3条1項は憲法14条1項に違反するか。多数意見(違憲)補足意見有[9][7]
小法廷判決に対する対応
- 2006年(平成18年)6月6日、群馬パチンコ店員連続殺人事件で強盗殺人などの罪に問われ、一審で死刑判決を受けた後、控訴を取り下げた被告人Tについて「正常な判断力を失っており取り下げは無効」と申し立てたTの弁護人の特別抗告を棄却する決定を出したため、Tの死刑判決が正式に確定した[29][30]。
- 2006年(平成18年)6月9日、ドラム缶女性焼殺事件で強盗殺人などの罪に問われ、一・二審で死刑判決を受けた被告人N・Kについて「女性2人をドラム缶に押し込んで生きたまま焼き殺したという殺害の態様は極めて冷酷、非情かつ残虐というほかない」として上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人N・Kに対する死刑判決が確定した[31][32]。
- 2006年(平成18年)8月30日、桶川ストーカー殺人事件で女子大生の遺族が埼玉県(埼玉県警)に対して提訴した国家賠償請求訴訟で、遺族と埼玉県警の上告を棄却する決定を出した[33][34]。
- 2006年(平成18年)12月22日、百人斬り訴訟で野田毅・向井敏明の遺族が遺族及び死者に対する名誉毀損にあたるとして毎日新聞、朝日新聞、柏書房、本多勝一らを提訴した訴訟で、原告の請求を棄却する決定を出した[35]。
- 2008年(平成20年)3月14日、横浜事件の再上告審で「有罪判決の確定後に大赦を受けるなどした場合は免訴とすべきだ」として他界した元被告人らの遺族の上告を棄却する決定を出したため、元被告人ら5人を免訴とした判決が確定した[36]。
- 2008年(平成20年)3月24日、袴田事件で弁護側の特別抗告を棄却する決定を出したため、第一次再審請求の棄却が確定した[37][38]。
- 2008年(平成20年)4月11日、立川反戦ビラ配布事件で被告人3人の上告を棄却する決定を出したため、3人に対して罰金20万円から10万円を命じた二審・東京高裁の判決が確定した[39]。
- 2008年(平成20年)7月11日、下関通り魔殺人事件で殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪に問われ、一・二審で死刑判決を受けた被告人Uに対して「将来に失望して自暴自棄となり、自分をそのような状況に陥れたのは社会や両親だとして、衝撃を与えるために無差別大量殺人を企てた」と指摘した上で「通り魔的な大量殺人として社会に与えた衝撃、遺族の処罰感情の強さなどを考慮すると、死刑もやむを得ない」として上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Uに対する死刑判決が確定した[40][41]。
- 2009年(平成21年)6月15日、ファミレス2人射殺事件で殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪に問われ、一・二審で死刑判決を受けた被告人Mに対して上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Mに対する死刑判決が確定した[42]。
脚注
出典
- ^ a b c d 『朝日新聞』2002年10月29日 夕刊 2総合2頁「最高裁事務総長、竹崎博允次長が昇格」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『朝日新聞』2004年12月21日 夕刊 2総合2頁「最高裁判事に今井功氏・中川了滋氏」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2009年12月29日 朝刊 2社会26頁「最高裁判事に就任、須藤氏と千葉氏が抱負」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2004年12月21日 夕刊 2総合2頁「仁田陸郎氏に決定 東京高裁長官」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2002年2月15日 夕刊 2総合2頁「最高裁判事に上田豊三氏を決定」(朝日新聞東京本社)
- ^ “東北大学法科大学院 教員紹介(客員教授)” (PDF). 東北大学法科大学院. 2025年6月28日閲覧。
- ^ a b c d “東北大学法科大学院メールマガジン 第61号”. 東北大学法科大学院 (2010年6月15日). 2025年6月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “裁判官検索:今井功”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版株式会社. 2024年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月3日閲覧。
- ^ a b c 「兵庫人挑む」『神戸新聞』2008年11月9日、朝刊。オリジナルの2011年9月12日時点におけるアーカイブ。2011年6月20日閲覧。
- ^ “これまでに開催した『卒業生による講演会』一覧”. 兵庫県立星陵高等学校同窓会 星友会 (2018年4月23日). 2025年6月28日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』1984年9月21日 朝刊 1社23頁「協定・慣習がない場合の当日乗務変更はダメ 日航女性パーサーが勝訴」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1987年3月2日 朝刊 2総2頁「最高裁人事(2日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1990年3月15日 朝刊 2総2頁「最高裁人事(15日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1994年12月13日 夕刊 2総2頁「最高裁人事(21日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1996年7月19日 朝刊 3総3頁「最高裁人事(19日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1998年3月11日 朝刊 3総3頁「最高裁人事(11日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2002年3月7日 朝刊 宮城1 25頁「「信頼確保へ正しい裁判」今井功・仙台高裁長官が着任会見/宮城」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2002年12月10日 朝刊 3総合3頁「法務省人事(10日付)」(朝日新聞東京本社)
- ^ “平成17年9月11日執行 衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報結果”. 総務省ホームページ. 総務省 (2005年9月11日). 2025年3月3日閲覧。
- ^ “【入所】最高裁判所判事を退官された今井功弁護士を顧問として迎えました”. TMI総合法律事務所ホームページ. TMI総合法律事務所 (2010年4月9日). 2025年3月3日閲覧。
- ^ “平成23年春の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2011年). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。
- ^ 「春の叙勲4064人 海部元首相に桐花大綬章」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年6月18日。オリジナルの2025年3月3日時点におけるアーカイブ。2025年3月3日閲覧。
- ^ “みずほフィナンシャルグループの役員異動のお知らせ” (PDF). みずほフィナンシャルグループ (2011年5月23日). 2025年6月28日閲覧。
- ^ 「人事、みずほフィナンシャルグループ」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年5月23日。オリジナルの2025年6月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ 「人事、みずほコーポレート銀行」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年5月23日。オリジナルの2025年6月28日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ “株式会社みずほ銀行 役員体制” (PDF). みずほフィナンシャルグループ (2013年7月1日). 2025年6月28日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1986年12月24日 朝刊 1社23頁「「ひげ裁判」痛み分け決着 東京地裁が申請却下」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2007年6月14日 朝刊 1総合1頁「一票の格差2.17倍、合憲 最高裁、見直し後初 05年衆院選」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2006年6月8日 全国版 東京朝刊 2社38頁「群馬のパチンコ店員殺害 被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2006年6月8日 朝刊 群馬県央・1地方 35頁「T被告の死刑確定 最高裁が特別抗告を棄却 パチンコ店員殺害 /群馬県」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
- ^ 「被告2人の死刑確定へ 名古屋・2女性ドラム缶焼殺事件」『朝日新聞』朝日新聞社、2006年6月9日。オリジナルの2006年6月13日時点におけるアーカイブ。2025年9月8日閲覧。
- ^ 『朝日新聞縮刷版』2006年8月、p.1501
- ^ 「埼玉と兵庫のストーカー事件、殺害に警察の責任認めず」『読売新聞』読売新聞社、2006年8月30日。オリジナルの2006年9月2日時点におけるアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
- ^ 「旧日本軍の「百人斬り」めぐる訴訟 本社などの勝訴確定」『朝日新聞』朝日新聞社、2006年12月22日。オリジナルの2007年1月2日時点におけるアーカイブ。2025年3月3日閲覧。
- ^ 「「横浜事件」元被告側の上告棄却、免訴判決が確定へ」『読売新聞』読売新聞社、2008年3月14日。オリジナルの2008年3月14日時点におけるアーカイブ。2025年3月3日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2008年3月26日東京朝刊一面1頁「袴田事件の再審請求を棄却 弁護側の新証拠認めず/最高裁」(読売新聞東京本社)
- ^ 平成16(し)258 再審請求棄却決定に対する即時抗告棄却決定に対する特別抗告 平成20年3月24日 最高裁判所第二小法廷 決定全文
- ^ 「自衛隊官舎ビラの上告棄却、住居侵入で3被告の有罪確定へ」『読売新聞』読売新聞社、2008年4月11日。オリジナルの2008年4月16日時点におけるアーカイブ。2025年3月3日閲覧。
- ^ 「99年下関駅無差別殺傷、U被告の死刑確定へ」『朝日新聞』朝日新聞社、2008年7月11日。オリジナルの2009年3月25日時点におけるアーカイブ。2024年12月5日閲覧。
- ^ 「下関駅通り魔:44歳男の死刑確定 最高裁が申し立て棄却」『毎日新聞』毎日新聞社、2008年8月30日。オリジナルの2008年9月1日時点におけるアーカイブ。2024年12月5日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2009年6月16日 朝刊 3社会37頁「元組員の死刑確定へ 千葉・市原のファミレス2人射殺」(朝日新聞東京本社)
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