京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 01:47 UTC 版)
「奈良電気鉄道」の記事における「京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」の解説
前述のように、終戦直後の1945年(昭和20年)12月21日から近鉄合併後の1968年(昭和43年)12月20日まで、奈良電気鉄道(→近鉄京都線)は京阪神急行京阪線(→京阪本線)の丹波橋駅に乗り入れており、その上両線を結ぶ連絡線も存在したため、その間は京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道と奈良電気鉄道・近畿日本鉄道の間で直通運転が行われていた。奈良電の堀内駅を廃止してまで乗り入れ工事を推進した背景には、奈良電の沿線に陸軍の師団や弾薬庫などが存在したことから、軍による空襲時の代替線確保要請が出されたためという当時の時勢[要出典]があるが、結果としては戦後に完成したことになる。 当初は奈良電から京阪神急行への片乗り入れであったが、1947年(昭和22年)4月1日からは京阪神急行からの奈良電・近鉄乗り入れも開始され、相互直通運転となった。1949年12月1日からは京阪神急行から京阪が再分離され、乗り入れる鉄道事業者が京阪神急行から京阪に変更されたが、直通区間については不変であった。 その後丹波橋駅への乗り入れと直通運転が廃止となった背景には、それまで両社線とも架線電圧が直流600Vであったものが、近鉄京都線の直流1,500Vへの昇圧が決定したこと、両社共に1968年(昭和43年)9月(京阪)、10月(近鉄)に相次いで独自仕様のATSを採用したこと、丹波橋駅で両社の路線が平面交差しており、さらに同駅を管理している京阪側の優先通行とされていたため、特に近鉄側のダイヤ作成時の支障となっていたこと、近鉄京都線に大型車を導入することになったことがある。この分離に当たっては、送電線の関係から、乗り入れ開始後も近鉄が旧来の線路用地を手放さずにそのまま確保してあり、問題にはならなかった。 1947年(昭和22年)に京阪線・宇治線側から直通運転が開始された当時の運転系統は、おおむね以下のようなものであった。 三条駅 - (京阪神急行) - 丹波橋駅 - (奈良電) - 大和西大寺駅 - (近鉄) - 近畿日本奈良駅(現・近鉄奈良駅)・橿原神宮駅駅(現・橿原神宮前駅) …3社(1963年より2社)乗り入れ 京都駅 - (奈良電) - 丹波橋駅 - (京阪神急行) - 宇治駅 …2社乗り入れ 車両は1の運用では奈良電か近鉄(1963年(昭和38年)以降。800系や特急車など一部の車両は対象外)、2の運用では京阪神急行→京阪のもの(1950年運転開始の特急車と2000系・2200系、また2代目700系など一部の車両は対象外)を使用していた。 1の運用は乗務員の取り扱い上の理由もあり、近鉄合併後も京阪の車両と共通の東洋電機製造製デッカー系電動カム軸式制御器を備える旧奈良電車が引き続き使用されたが、一時は当時最新の近鉄820系が用いられたこともあった。しかし820系は2両編成であったため、今度は京阪線内での積み残しという問題が出てしまい、程なく旧態に復している。2の運用については、最末期には既に一般車に格下げされ、宇治線でも運用されるようになっていた1700系や、時にはカルダン車の初代1800系も使われていたが、ほとんどの場合はこの2形式以外の車両が入っていた。 1953年(昭和28年)には、三条駅 - 橿原神宮駅駅間の列車を急行としたが、1956年(昭和31年)には橿原神宮駅駅乗り入れの列車はなくなった。運転本数は、1957年(昭和32年)までは、1、2とも1時間当たり各2往復だったが、その後は1時間当たり各1往復となった。同時に運転時間帯がおおむね6 - 19時台であったものが8 - 18時台に短縮された。また、1の系統の一部は急行・準急で運転された。1967年(昭和42年)には、朝夕が準急、昼間が普通であったダイヤが、朝夕が急行、昼間が準急に変更された。奈良発着列車の停車駅は以下の通りであった。 急行:三条、四条、七条、伏見稲荷、丹波橋、桃山御陵前、大久保、新田辺、大和西大寺、油阪、近畿日本奈良 準急(設定時 - 1957年):三条 - 丹波橋間各駅、桃山御陵前、大久保、新田辺 - 近畿日本奈良間各駅 準急(1957 - 1967年):三条、四条、七条、伏見稲荷、丹波橋、桃山御陵前、大久保、新田辺 - 近畿日本奈良間各駅 準急(1967 - 1968年):三条、四条、七条、伏見稲荷、丹波橋 - 近畿日本奈良間各駅 当時、京阪本線にも三条発天満橋行(1963年(昭和38年)以後は淀屋橋行)の準急(朝ラッシュ時のみ、時期により運転がないこともあり)が運転されていたが、この準急は当時は寝屋川市駅まで各駅停車であったので、三条駅 - 丹波橋駅間では停車駅の異なる2種類の準急が存在していた。なお2の系統はすべて普通列車として運転された。 その他、主にひらかたパーク利用客向けの臨時列車として、京都駅 - 枚方公園駅間急行「ひらかた号」などが運行された。これは、直通運転終了直前まで実施された。 この乗り入れにおける乗務員(運転士と車掌)は、京阪(京阪神急行時代より)・奈良電(近鉄合併後も廃止まで)ともに丹波橋で交代することなく、自社の車両でそのまま他社線へ乗り入れて運転を行なっていた。
※この「京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」の解説は、「奈良電気鉄道」の解説の一部です。
「京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転」を含む「奈良電気鉄道」の記事については、「奈良電気鉄道」の概要を参照ください。
- 京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道との直通運転のページへのリンク