京阪神急行電鉄丹波橋駅と奈良電気鉄道堀内駅の統合
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1943年2月6日、奈良電気鉄道と京阪電気鉄道は運輸協定を結ぶ。京阪の丹波橋駅を大阪方面に87m移動、大阪・西大寺方で両社の線路を立体交差させ、駅には構内地下道を新設、堀内駅(現・近鉄丹波橋駅)を廃止して共同使用駅に改築するものであった。しかし当局預かりになり、京阪電気鉄道と阪神急行電鉄とが合併して京阪神急行電鉄になった後の1944年4月24日に再度協定を締結。同年6月6日工事方法書変更申請を行うが、戦局の悪化で資材調達がままならず、奈良電と京阪神急行が交差する部分のうち、大阪方面での立体交差計画を平面交差に、構内地下道を踏切道に設計変更が行われた。しかし立体交差が平面交差に変更されたことは両社のダイヤ編成に制約を受けることとなった。当局からも『乗降場ハ極力『セメント』ヲ用ヒザル構造トシ資材ノ節減ニ留意スルコト』指示を受ける。1944年8月2日に許可された。不要不急線指定による嵐山線の単線化などで確保した資材を転用して着工するが、戦局の悪化で工事が遅れ、完成は終戦後になり、上り線は1945年12月10日、下り線は同年12月20日に完成。翌12月21日より奈良電 - 京阪神急行(一部近鉄 - 奈良電 - 京阪神急行の3社乗り入れ)間で乗り入れ開始となった。京阪神急行が京阪に、奈良電が近鉄となった後も直通運転は継続されていた。桃山御陵前駅 - 堀内駅間は、桃山御陵前駅構内側線として残置し、堀内駅以北は廃線となった(後述)。
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