滝川事件
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滝川事件(たきがわじけん[1]、たきかわじけん[2])は、1933年(昭和8年)に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件。京大事件(きょうだいじけん)とも呼ばれる。
注釈
- ^ トルストイの思想について、「犯罪は国家の組織が悪いから出る」などと説明したものである。
- ^ 後者については妻にだけ適用されることを批判したものである。これは明治天皇の代まで後継者確保のために側室を設けていた過去があり、当時まだ一夫一婦制が明文化されていなかった天皇家にとっては見過ごせない学説であった。
- ^ 農学部評議員でのちに第10・12代同志社総長となる湯浅八郎教授が法学部教授会支持を表明しているのは数少ない例外である。
- ^ 理学博士でのちに立命館大学学長となる。
- ^ 年末には残留組に近かったとされる宮本英脩が復職した。
- ^ このとき文学部の大学院生および学生のグループで活躍したのが中井正一、久野収、花田清輝、高木養根、古谷綱正らである。
- ^ ただし恒藤は戦後に兼任教官として短期間だが在任している。
- ^ これ自体文部省の意に添わないものであった。
- ^ 一方、末川は立命館大学に移り新制初代の学長に就任した。
- ^ すなわち、両名の不退去罪および傷害罪は無罪となった。
- ^ モデルは『世界文化』同人として検挙されたことがあり、戦時期には理化学研究所を中心とする陸軍の原爆開発に関わっていた物理学者の武谷三男であると思われる。
出典
- ^ 山川日本史小辞典
- ^ コトバンク
- ^ 中央大学百年史編集委員会専門委員会 『中央大学百年史』 通史編下巻、2003年、49-52頁
- ^ Marshall (1992).
- ^ 東京堂年鑑編輯部(編) 編『出版年鑑 昭和9年版』東京堂、1934年6月、81頁。全国書誌番号:55007461 。
- ^ Itoh (2003).
- ^ 「昭和8年」『京都帝国大学一覧』京都帝国大学、1933年11月、287頁。全国書誌番号:46082087 。
- ^ 中山 (2008).
- ^ 松尾 (2004).
- ^ 井ヶ田良治・原田久美子「京都府の百年」山川出版社 p180-183
- ^ 『京都大学百年史』 p.377
- ^ 山内 (1976).
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