三重師範学校
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三重師範学校(みえしはんがっこう)は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に、三重県に設置された師範学校である。
- 1 三重師範学校とは
- 2 三重師範学校の概要
- 3 校地の変遷と継承
- 4 関連項目
三重県女子師範学校
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1901年5月: 三重県師範学校に女子講習科を設置(修業年限2ヶ月)。 1901年9月: 三重県師範学校に女子部を開設。 1904年4月1日: 三重県師範学校女子部を分離、三重県女子師範学校開校。修業年限3年、15歳以上対象。 1904年5月: 鈴鹿郡亀山町東町(現・亀山市本町、市立亀山東小)の新校舎に移転。 1907年頃: 校長排斥ストライキ事件。第2代 秋鹿校長の就任とともに教諭数名が転出となったことに抗議。校長転出、生徒謹慎で決着。 1908年3月: 本科4年制となる。 1910年2月: 本科第二部を設置(1年制、高女卒対象)。 1925年5月: 本科第一部を 5年制に変更。 1926年4月: 専攻科を設置(1年制)。 1928年4月: 本科第二部を 2年制に延長。 1933年4月: 鈴鹿高等女学校(現・県立亀山高)と校舎共用に。 1934年10月: 校歌制定(鈴鹿高女と共通)。『鈴鹿の嶺は』(佐佐木信綱 作詞、岡野貞一 作曲)。
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