亀山町立図書館とは? わかりやすく解説

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亀山町立図書館(1928-1954)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:26 UTC 版)

亀山市立図書館」の記事における「亀山町立図書館(1928-1954)」の解説

鈴鹿峠控えた亀山は、東海道宿場町として、また伊勢亀山藩城下町として栄えた街である。亀山藩主は学問重んじ藩校明倫舎」を設けたため、学問芸術文化が花開き近代には1904年明治37年)に三重県女子師範学校(後の三重師範学校女子部)が設立されるなど文教都市としての性格帯びていた。 1928年昭和3年3月28日鈴鹿郡亀山町西丸に亀山町立図書館が開館した。この図書館亀山尋常高等小学校(現・亀山市立亀山西小学校)の一角亀山尋常高等小学校記念館に設置された。1928年昭和3年)には、三重県庁が「市町村立図書館設置奨励ニ関スル件」という訓令発して図書館の設置呼び掛けたこともあり、同年だけで亀山町立図書館を含め12館もの図書館三重県内で開館している。当時の亀山町立図書館は年中無休開館していたため、閲覧者数は県内有数であり、1930年昭和5年)の統計では蔵書数2,750冊、閲覧者12,322であった1937年昭和12年4月1日鉄筋コンクリート構造2階建ての新築館舎移転した同年には蔵書数が4,678冊に増加した一方で閲覧者数は10,629人に減少している。『三重県教育史』は職員数極端に少ないのが原因ではないか推察している。1942年昭和17年6月20日には三重県図書館協会主催の「図書館教育研究会」を亀山町立図書館で開催し青年向けた読書指導在り方研究した三重県図書館協会1940年昭和15年5月設立されたばかりで、当初館長としての側面強かったものの、三重県初め図書館間のつながり作った組織となった第二次世界大戦中は、県内多く図書館休館追い込まれ、亀山町立図書館も活動停滞した1947年昭和22年5月亀山城多門櫓再開した図書館建物戦災受けておらず、亀山簡易裁判所亀山区検察庁貸し出されたため、図書館多門櫓移ったであった復興時の職員2人けだった整備拡充進め1951年昭和26年)には蔵書数9,484冊、図書館370,236円で1日平均閲覧者数は141人と県内では四日市市立図書館に次ぐ2位であった同年9月亀山簡易裁判所亀山区検察庁新築移転したことにより、旧館復帰した1952年昭和27年11月には三重県教育委員会から「教育功労団体」として表彰された。その背後には、町民結成した図書館援護会が図書寄贈読書会開催図書館での奉仕活動支援していたことがあった。1953年昭和28年10月蔵書数1万冊を突破し記念講演会開催した

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