亀山町立図書館(1928-1954)
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「亀山市立図書館」の記事における「亀山町立図書館(1928-1954)」の解説
鈴鹿峠を控えた亀山は、東海道の宿場町として、また伊勢亀山藩の城下町として栄えた街である。亀山藩主は学問を重んじ、藩校「明倫舎」を設けたため、学問や芸術文化が花開き、近代には1904年(明治37年)に三重県女子師範学校(後の三重師範学校女子部)が設立されるなど文教都市としての性格も帯びていた。 1928年(昭和3年)3月28日、鈴鹿郡亀山町西丸に亀山町立図書館が開館した。この図書館は亀山尋常高等小学校(現・亀山市立亀山西小学校)の一角、亀山尋常高等小学校記念館に設置された。1928年(昭和3年)には、三重県庁が「市町村立図書館設置奨励ニ関スル件」という訓令を発して図書館の設置を呼び掛けたこともあり、同年だけで亀山町立図書館を含め12館もの図書館が三重県内で開館している。当時の亀山町立図書館は年中無休で開館していたため、閲覧者数は県内有数であり、1930年(昭和5年)の統計では蔵書数2,750冊、閲覧者数12,322人であった。 1937年(昭和12年)4月1日、鉄筋コンクリート構造2階建ての新築館舎へ移転した。同年には蔵書数が4,678冊に増加した一方で、閲覧者数は10,629人に減少している。『三重県教育史』は職員数が極端に少ないのが原因ではないかと推察している。1942年(昭和17年)6月20日には三重県図書館協会主催の「図書館教育研究会」を亀山町立図書館で開催し、青年に向けた読書指導の在り方を研究した。三重県図書館協会は1940年(昭和15年)5月に設立されたばかりで、当初は館長会としての側面が強かったものの、三重県で初めて図書館間のつながりを作った組織となった。 第二次世界大戦中は、県内の多くの図書館が休館に追い込まれ、亀山町立図書館も活動が停滞した。1947年(昭和22年)5月、亀山城多門櫓で再開した。図書館の建物は戦災を受けておらず、亀山簡易裁判所・亀山区検察庁に貸し出されたため、図書館は多門櫓に移ったのであった。復興時の職員は2人だけだったが整備拡充を進め、1951年(昭和26年)には蔵書数9,484冊、図書館費370,236円で1日平均閲覧者数は141人と県内では四日市市立図書館に次ぐ2位であった。同年9月、亀山簡易裁判所・亀山区検察庁が新築移転したことにより、旧館へ復帰した。1952年(昭和27年)11月には三重県教育委員会から「教育功労団体」として表彰された。その背後には、町民が結成した図書館援護会が図書の寄贈、読書会の開催、図書館での奉仕活動を支援していたことがあった。1953年(昭和28年)10月、蔵書数が1万冊を突破し、記念講演会を開催した。
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