亀山校地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:07 UTC 版)
亀山校地・キャンパスは、その後身諸校(旧旧山口高等学校→旧制山口高等商業学校→旧制山口経済専門学校→山口大学経済学部)に受け継がれ、110年間に亘り使用された。1973年(昭和48年)、経済学部が山口大学本部のある吉田(平川)キャンパスへ移転・統合された後は、パークロード建設のため藩校以来の堀も埋められたが、その後一部が復元され、跡地には山口県立美術館、鳳陽館(鳳陽会<山口大学経済学部・旧高商・旧経専同窓会>館)、「鳳陽寮歌石碑」が建てられている。 大村益次郎が、幕長戦争(長州征討)を前に、明倫館兵学寮教授として、山田顕義等普門寺塾(別名三兵塾)生に対し、士官養成のための近代兵学教練を行ったのが、ここ亀山校地である。
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