ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズム
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「ダンディ」の記事における「ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズム」の解説
英国社会におけるダンディの模範となったのは、「ボー・ブランメル」ことジョージ・ブライアン・ブランメル(1778年 - 1840年)である。ブランメルは少時にはオックスフォード大学オリオル・カレッジの学生であり、のちには摂政王太子(即位後ジョージ4世)の取り巻きでもあったが、貴族の出ではない。実際のところ、ブランメルのすごさは「全く何にも基づいていない」というのはフランスの作家バルベー・ドールヴィイが1845年に喝破するところである。白粉をはたくことも香水をつけることもなかったが、常に入浴と髭剃りを欠かさず、装いは紺青の無地のコートであったブランメルは、髪にはきちんとブラシを当て、身に着ける物のサイズはぴったりで、コートから覗くリネンは糊がきいてパリッとし、もちろんすべてはきれいに洗濯されてあって、仕上げは丹念に結んだクラヴァット(英語版)(ネクタイの前身)であった。1790年代半ば以降のブランメルは「有名人」のはしりとなっていた。有名人とは有名だから有名であるという人のことだが、ブランメルの場合は口数は少ないが機知に富んだ伊達物として有名なのであった[要出典]。 ナポレオン戦争期の首相であった小ピットは、1795年に対仏戦争の戦費捻出と小麦粉の使用制限を目的として頭髪用の白粉に課税しているが(当時の男性用の長く白いかつらは小麦粉を原料とする白粉によって白くされていた。また当時不作のため小麦粉は希少化し値が上がっていた)、ブランメルはそれに先立ってすでにかつらの着用をやめ、髪をローマ風(ないしブルータス風「à la Brutus」)に短く刈らせていた。またブランメルはそれまで一般的だった膝丈の breeches から、仕立てた黒の pantaloons (いわゆるベルボトムではない)への変遷を主導した人物でもあった。Pantaloons はほぼそのまま現在のズボン類になっていき、西洋では以後200年、男性の服装の主流となっている。1799年、規定の年齢に達したため、ブランメルは父の遺産3万ポンドを相続した。ブランメルはこの3万ポンドのほとんどを着る物と賭け事、豪華な暮らしに浪費し、1816年にはダンディの典型的な末路である破産に至った。ブランメルは債権者を逃れてフランスに渡り、1840年、62歳を目前に[要出典]カーンの癲狂院(精神病院の前身)で人知れず没した。 ダンディ風のスタイルをとった人物でボー・ブランメルにまして成功した人物として、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンが挙げられる。バイロン卿はフランス革命以降一旦すたれたレースのフリルを袖と襟とにあしらった poet shirt (en)を着ることがあった。バイロン卿のこのようなファッション上の志向は、アルバニアの民族衣装を装った姿を描かせた肖像画に見ることができる[要出典]。 当時の突出したダンディとして、いま一人フランスのドルセー伯爵アルフレード・ドルセー(英語版)を挙げることができる。ドルセー伯はバイロン卿の友人であり、ロンドン社交界の最上層に参入した。 1836年にトーマス・カーライルは次のように書いている。 ダンディは伊達男であり、ダンディの生業、はたらき、在りようは服を着ることのうちにある。ダンディにおいては感情、精神、金銭、社交という機能のいずれも、かしこく服を着こなすという目的に英雄的に奉仕している。したがって、他の人が生きるために着るのに対し、ダンディは着るために生きるのである。さてここで、殉教であり詩情でありさらに預言でもあるこの絶え間ない在り方に対して、ダンディが見返りに望むこととはなんなのか。おそらくただに、存在を認められること、といえるのだろう。あるいは生きて動いている何物かとして、いやそれよりも慎ましいかもしれない。目に入る何物か、可視光を反射するに足る物……。 19世紀半ばには英国のダンディは、ヴィクトリア朝当時の男性ファッションという非常に色彩に乏しいパレットの中で、微細な洗練を披露していた。「良質な毛織の質、ポケットのフラップやコートの折り返しの角度、本当に正しい手袋の色、ブーツや革靴の適切な照り返し加減といった具合である。こうしたことからイメージされるのは服装に気を遣っているが、自分の外見に無限の苦痛を感じており、かつ外見に無関心を装う男である。この洗練されたダンディズムは、男性における英国らしさの本質的要素とみなされ続けることとなった。」
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