ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズムとは? わかりやすく解説

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ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 14:18 UTC 版)

ダンディ」の記事における「ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズム」の解説

英国社会におけるダンディ模範となったのは、「ボー・ブランメル」ことジョージ・ブライアン・ブランメル1778年 - 1840年)である。ブランメル少時にはオックスフォード大学オリオル・カレッジ学生であり、のちには摂政王太子即位ジョージ4世)の取り巻きでもあったが、貴族出ではない。実際のところ、ブランメルのすごさは「全く何にも基づいていない」というのはフランス作家バルベー・ドールヴィイが1845年喝破するところである。白粉をはたくことも香水をつけることもなかったが、常に入浴髭剃り欠かさず装い紺青無地コートであったブランメルは、髪にはきちんとブラシ当て身に着ける物のサイズはぴったりで、コートから覗くリネンは糊がきいてパリッとし、もちろんすべてはきれいに洗濯されてあって、仕上げ丹念に結んだクラヴァット英語版)(ネクタイ前身であった1790年代半ば以降ブランメルは「有名人」のはしりとなっていた。有名人とは有名だから有名であるという人のことだが、ブランメル場合口数少ないが機知に富んだ伊達物として有名なであった[要出典]。 ナポレオン戦争期首相であった小ピットは、1795年対仏戦争戦費捻出小麦粉使用制限目的として頭髪用の白粉課税しているが(当時男性用の長く白いかつらは小麦粉原料とする白粉によって白くされていた。また当時不作のため小麦粉希少化し値が上がっていた)、ブランメルはそれに先立ってすでにかつらの着用をやめ、髪をローマ風(ないしブルータス風「à la Brutus」)に短く刈らせていた。またブランメルそれまで一般的だった膝丈の breeches から、仕立てた黒の pantaloons (いわゆるベルボトムではない)への変遷主導した人物でもあった。Pantaloons はほぼそのまま現在のズボンになっていき、西洋では以後200年男性の服装主流となっている。1799年規定年齢達したため、ブランメル父の遺産3ポンド相続したブランメルはこの3ポンドのほとんどを着る物と賭け事豪華な暮らし浪費し1816年にはダンディ典型的な末路である破産至ったブランメル債権者逃れてフランス渡り1840年62歳を目前に[要出典]カーン癲狂院精神病院前身)で人知れず没したダンディ風のスタイルをとった人物ボー・ブランメルにまして成功した人物として、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン挙げられるバイロン卿フランス革命以降一旦すたれたレースフリルを袖と襟とにあしらった poet shirten)を着ることがあった。バイロン卿このようなファッション上の志向は、アルバニア民族衣装装った姿を描かせた肖像画に見ることができる[要出典]。 当時突出したダンディとして、いま一人フランスのドルセー伯爵アルフレード・ドルセー(英語版)を挙げることができる。ドルセー伯はバイロン卿友人であり、ロンドン社交界最上層に参入した1836年トーマス・カーライル次のように書いている。 ダンディ伊達男であり、ダンディ生業はたらき在りようは服を着るとのうちにある。ダンディにおいては感情精神金銭社交という機能いずれもかしこく服を着こなすという目的英雄的奉仕している。したがって、他の人が生きるために着るのに対しダンディは着るために生きるのである。さてここで、殉教であり詩情でありさらに預言でもあるこの絶え間ない在り方に対してダンディ見返りに望むこととはなんなのか。おそらくただに、存在認められること、といえるのだろう。あるいは生きて動いている何物かとして、いやそれよりも慎ましいかもしれない目に入る何物か、可視光反射するに足る物……。 19世紀半ばには英国ダンディは、ヴィクトリア朝当時男性ファッションという非常に色彩乏しパレットの中で、微細な洗練披露していた。「良質な毛織の質、ポケットフラップコート折り返し角度本当に正し手袋の色、ブーツ革靴適切な照り返し加減といった具合である。こうしたことからイメージされるの服装気を遣っているが、自分外見に無限の苦痛感じており、かつ外見に無関心装う男である。この洗練されたダンディズムは、男性における英国らしさの本質的要素みなされ続けることとなった。」

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