フレーズの起源とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > フレーズの起源の意味・解説 

フレーズの起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 22:48 UTC 版)

能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の記事における「フレーズの起源」の解説

『ゴータ綱領批判』におけるマルクス言及部分全文次のようなものである共産主義社会ヨリい段階において、すなわち、分業への個々人奴隷的依存、それとともにまた精神的および肉体的労働対立消滅したのち、労働が単に生産手段でなくて、それ自体第一の生活の要求になったのち、個々人全面的発展とともに、また生産力成長して協同組合的富のすべての源泉が一そう豊かに溢流するにいたったのち――その時はじめて横溢ブルジョア権利地平線は全く踏みこえられ、そして社会はその旗にこう書きつけるであろう各人はその能力に応じて各人はその必要に応じて共産主義社会のより高次段階において、すなわち諸個人分業奴隷的従属することがなくなり、それとともに精神的労働肉体的労働との対立なくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさき必要なこととなったのち、また、個人全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかり湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人からはその能力に応じて各人にはその必要に応じて! このフレーズマルクスによって作り出されたと一般に考えられているが、このスローガン自体社会主義運動の中において一般的なものであった例えば、アウグスト・ベッカー1844年に、ルイ・ブラン1851年にこのフレーズ使用している。その起源フランスユートピアンであるエティエンヌ・ガブリエル・モレリ(フランス語版)に帰せられており、その1755年著書『自然の規範』(Code de la nature)の「全ての社会の悪と邪悪根源打ち破る神聖にして基本的な法」には次のような文章含まれている。 1. 欲求喜び又は日々の仕事いずれかのために即座に用いられるものを除いて個人所有物又は資本財として社会の中のあらゆるは、何人にも属さない。2. すべての市民公民であり、公的支出によって維持され支えられ、それに奉仕する。 3. すべての市民能力才能年齢に応じて共同体特定の活動貢献する。この原則基づいて分配に従ってその義務決定される似たようなフレーズ1639年ギルフォード英語版)の盟約にも見出される。 ここに名前が記されないわれわれは、ニューイングランドにわれら自信植える神の慈悲による勅許意図しており、もしそうならばQuinnipiackの南部においては、われら自身とわれらの家族、そしてわれらに属する者たちのために、主がわれらを扶け、われらはそれぞれが共に一つ植民地参加し各人がその能力に応じて、また必要に応じてそれぞれが共に共同仕事役に立ちつことを誓う。そしてわれわれは、同意者の残余あるいはこの盟約参加した仲間大部分同意を得ない限り互いに植民地放棄せず、離れないことを誓う。 このフレーズの起源を新約聖書求め研究者存在する使徒言行録描かれるイェルサレム信仰者共同体生活様式個人所有のない共同体として記述され、「必要に従っておのおのに分け与えられた」(διεδίδετο δὲ ἑκάστῳ καθότι ἄν τις χρείαν εἶχεν)というフレーズ使用している。 32:信じた者の群れは、心と思い一つにして、だれひとりその持ち物自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。33: 使徒たちは、主イエス復活を非常に力強くあかしし大きな恵みがそのすべてのの上にあった34: 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り代金携えて来て35: 使徒たち足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。(使徒4:32-35 新改訳32: 信者の群は、心と霊を一つにしていた。だれも、自分もちもの自分のものだといわずすべてのものを共有していた。33: 使徒たちは、大いに力をいれて、主イエズス復活証明した。そして、みなは非常に好意持たれていた。 34: かれらのなかには一人も、貧しい人がなかった。なぜなら、土地や家を所有していた人々はみな、それを売って、その代金をもちより、 35: 使徒たち足もとにおき、必要に応じて、おのおのに分配していたからであった。(使徒4:33-35 バルバロ訳) しかし、この考え同意しない研究者たちは、「各人からはその能力に応じて各人にはその必要に応じて」のフレーズは「ローマ法のソリドゥムの義務概念」の中に宗教的な期限があると主張している。ローマ法のソリドゥムの義務概念は「各人借金払えない人に責任があり、逆に彼は他の各人責任があると推定する」というものであるJames Furnerは次のように主張する。「X=不利であり、Y=その不利を是正するための行動であるなら、連帯原則次のうになる集団のある成員がXを獲得した場合、各成員は(可能ならば)Yを実行する義務がある。発達した共産主義基本原理到達するために、我々が付け加え必要があるのは、欲求不満足不利益であると仮定することである。欲求に関する連帯の対応原則は、社会成員中に満たされていない欲求がある場合、各成員は(可能ならば)その対象生産する義務を負う。しかし、それはちょうど「各人はその能力に応じて各人はその必要に応じて」という原則指示するところのものである。マルクス見方では、発展した共産主義基本原則は、必要性に関する連帯原則のである。」

※この「フレーズの起源」の解説は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の解説の一部です。
「フレーズの起源」を含む「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の記事については、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「フレーズの起源」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フレーズの起源」の関連用語

フレーズの起源のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フレーズの起源のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの能力に応じて働き、必要に応じて受け取る (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS