フィリピン第一共和国建国
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「エミリオ・アギナルド」の記事における「フィリピン第一共和国建国」の解説
詳細は「フィリピン独立革命」および「フィリピン第一共和国」を参照 1898年2月15日にスペイン領キューバのハバナ湾でアメリカ海軍のメイン号が爆沈した事件を契機にアメリカ合衆国はスペインに宣戦を布告、米西戦争が勃発した。アギナルドは香港亡命中にフィリピン人弁護士のフェリペ・アゴンシリョを通し、1898年3月16日にアメリカ合衆国アジア艦隊のデューイ提督の代理のウッズ大佐と接触し、革命陣営の内紛を経て4月7日に香港を退去した後、シンガポールにてプラット駐シンガポール合衆国領事からの接触を受け、プラット領事から文書にしないことを条件にアメリカ海軍がフィリピン独立を支持する旨のデューイ提督の返答を受け取った。 米西戦争勃発後、香港に駐留していたアメリカ海軍アジア艦隊がデューイ提督の指揮下、5月1日にマニラ湾海戦でカヴィテ港のスペイン海軍艦隊を全滅させた。アギナルドはこの駐フィリピンスペイン海軍撃滅の報を知った後、5月4日にシンガポールから香港に戻り、デューイ提督の提案を受諾した。5月16日にアメリカ海軍のマカロック号に乗って香港を発った後、5月19日にフィリピンに帰還し、デューイ代将と旗艦オリンピアにて会談、デューイ提督からはモーゼル銃をはじめとする兵器を提供を受けた。アギナルドは5月24日にフィリピン独立戦争の再開を宣言、再編成したフィリピン革命軍を率いて5月28日にスペイン海軍陸戦隊270名を打倒し、この戦闘時に初めてフィリピン旗を掲げ、5月31日からスペイン軍への攻撃に移った。6月初頭にスペイン軍を打倒したフィリピン革命軍は1898年6月12日にカウイトの自宅にて各国代表やジャーナリストを招き、フィリピンの独立を宣言した。独立宣言に際してアギナルドは軍楽隊長のジュリアン・フェリペに独立式典に用いるための曲の作曲を依頼し、ジュリアン・フェリペは「ラ・マルセイエーズ」を念頭に「フィリピン行進曲」を作曲、独立宣言に際して新たに定められたフィリピンの国旗と共にフィリピンの国歌に採用された。現在も6月12日はフィリピンの独立記念日とされている。 1898年6月にアメリカ合衆国大統領のウィリアム・マッキンリーはデューイ提督の要請の3倍に当たる15,000人のアメリカ陸軍部隊の派兵を決定し、7月25日にはメリット陸軍大将が着任、翌7月末には1万を超えるアメリカ陸軍部隊がマニラに到達した。その間にもアギナルド軍はカヴィテ州を征圧した後、スペイン軍を追撃し、アウグスティン総督を含めて植民地政府をイントラムロスに追い詰めた。この危機に際してスペイン当局はアウグスティン総督を更迭し8月5日に新総督にフェルミン・ジョーデンが着任、アギナルドらフィリピン革命軍を除いたアメリカ軍とスペイン軍の間で和平工作を始め、ベルギーのアンドレ領事の仲介でアメリカ軍に受諾された密約に基づいて、8月12日にアメリカ軍はマニラを包囲していたフィリピン革命軍に包囲の一部解除を要請、翌8月13日にアメリカ軍単独でマニラに入城し、フィリピン革命軍に降伏することを拒んだスペイン植民地政府はアメリカ軍に単独降伏した。 アメリカ軍とスペイン軍の密約により、マニラ入城を果たせなかったフィリピン革命軍と新たなマニラの支配者となったアメリカ合衆国との関係は悪化し、9月9日にバコールを発ったアギナルド一行はブラカン州の州都マロロスに移動、バラソアイン教会にてヨーロッパ留学経験者を集め、革命議会を開催した。10月18日より革命議会では憲法制定の審議が始まり、カルデロン弁護士がラテンアメリカ諸国の憲法を参考に憲法草案を起草し、カトリック教会を国教に認めるか否かが紛糾点となったために政教分離を保留した上で、翌1899年1月21日にはマロロス憲法を公布、フィリピン共和国(フィリピン第一共和国)を樹立、1月23日にエミリオ・アギナルドは初代大統領に就任した。この際、アギナルドは1898年に日本にマリアン・ポンセを派遣した。日本滞在中にポンセは大隈重信、山縣有朋、犬養毅ら政府要人と親交を結び、フィリピン独立支援を通したアメリカ合衆国との関係悪化を望まない青木周蔵外務大臣の反対にも拘らず、川上操六参謀総長と犬養毅の支持によって平山周、宮崎滔天、中村弥六らが中心になり、日本陸軍が日清戦争で鹵獲した旧式のモーゼル銃と弾薬をドイツ系ユダヤ人商人ワインベルゲルを通じ、布引丸でフィリピン革命政府に送ろうとしたが、途中で布引丸が沈没した為にフィリピン革命軍への兵器引き渡しは失敗に終わった(布引丸事件)。
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