フィリピン生活とは? わかりやすく解説

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フィリピン生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「フィリピン生活」の解説

1935年参謀総長退任して少将階級戻りフィリピン軍軍事顧問就任したアメリカ自国植民地であるフィリピン1946年独立させることを決定したため、フィリピン国民による軍が必要であった初代大統領にはケソン予定されていたが、ケソンマッカーサー友人であり、軍事顧問依頼ケソンよるものだった。マッカーサーケソンから提示された、18,000ドル給与15,000ドル交際費現地最高級ホテルケソンオーナーとなっていたマニラ・ホテルのスイート・ルーム滞在費に加えて秘密の報酬 という破格条件興奮し、主に経済的な理由により軍事顧問団への就任快諾している。 フィリピンには参謀総長時代から引き続いてアイゼンハワージェームズ・D・オード少佐副官として指名し帯同させた。アイゼンハワー行きたくないと考えており「参謀総長時代逆らった私を懲らしめようとして指名した」と感じたと後に語っている。 フィリピン行き貨客船「プレジデント・フーバー (S.S. President Hoover) 」には2番目の妻となるジーン・マリー・フェアクロスも乗っており、船上2人意気投合して2年後1937年結婚している。また、メアリー同乗していたが、既に体調崩しており長旅疲れもあってか、マッカーサーらがマニラ到着した1か月後に亡くなっている。 1936年2月マッカーサーは、彼のためにわざわざ設けられフィリピン陸軍元帥任命された。副官アイゼンハワーは、存在もしない軍隊元帥になるなど馬鹿げていると考えマッカーサー任命を断るよう説得したが、聞き入れられなかった。後年ケソン尋ねたところ、これはマッカーサー自身ケソン発案したのだった。しかし肝心軍事力整備は、主に資金難問題一向に進まなかった。マッカーサー50隻の魚雷艇250機の航空機40,000名の正規兵と419,300名のゲリラで、攻めてくる日本軍に十分対抗できる夢想していたが、実際にアイゼンハワー副官軍事力整備のために2,500ドル防衛予算が必要と提言すると、ケソンマッカーサー800ドル削れ命じ1941年には100万ドルになっていた。 軍には金はなかったが、マッカーサー個人アメリカ資本の在フィリピン企業投資行い多額利益得ていた。1936年1月17日にはマニラアメリカ系フリーメイソン加盟600名のマスター参加したという。3月13日には第14階級(薔薇十字高級階級結社)に異例昇進した1937年12月マッカーサー陸軍退官する歳となり、アメリカ本土へ帰還望んだが、新し受け入れ先が見つからなかった。そこでケソンコモンウェルス軍事顧問として直接雇用すると申し出し、そのままフィリピンに残ることとなったアイゼンハワー副官そのまま留任となった1938年1月マッカーサー軍事力整備成果見せるために、マニラ大規模な軍事パレード計画したアイゼンハワー副官は、その費用負担軍事予算破産する、とマッカーサー諫める聞き入れず副官らにパレード準備命令した。それを聞きつけたケソンが、自分許可なしに計画進めていたことに激怒してマッカーサー文句を言うと、マッカーサー自分はそんな命令をした覚えがない、とアイゼンハワーらに責任転嫁した。このことで、マッカーサーアメリカ軍軍事顧問幕僚たちとの決裂決定的となり、アイゼンハワー友人オード航空事故死もあり、フィリピンを去る決意をした。1939年第二次世界大戦開戦すると、アメリカ本国異動申し出て、後に連合国遠征軍最高司令部 (Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force) 最高司令官となったアイゼンハワー後任にはリチャード・サザランド大佐就いた

※この「フィリピン生活」の解説は、「ダグラス・マッカーサー」の解説の一部です。
「フィリピン生活」を含む「ダグラス・マッカーサー」の記事については、「ダグラス・マッカーサー」の概要を参照ください。

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