トリム・パッケージと派生型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 04:12 UTC 版)
「フォード・マベリック (アメリカ)」の記事における「トリム・パッケージと派生型」の解説
当初はクーペのみの設定で、初期のモデルにはグローブボックスが無く、これは1973年に追加された。より大きな後席居住空間と巻き上げ式の後部ドア窓を持つホイールベースが109 inの4ドア・セダンは、1971年に導入された。マベリックのステーションワゴン版は、1978年にブラジルで現地ディーラーが注文生産車種として4ドア・セダンを改造して販売した。 導入当初の外装の塗色には、アンチ=エスタブリッシュ・ミント(Anti-Establish Mint)、フラ・ブルー(Hulla Blue)、オリジナル・シナモン(Original Cinnamon)、フローディアン・ギルト(Freudian Gilt)、サンクス・ヴァーミリオン(Thanks Vermillion)といった特徴のある名称の色が、ブラック・ジェード(Black Jade)、シャンパン・ゴールド(Champagne Gold)、ガルフストリーム・アクア(Gulfstream Aqua)、メドウラーク・イエロー(Meadowlark Yellow)、ブリタニー・ブルー(Brittany Blue)、ライム・ゴールド(Lime Gold)、ドレスデン・ブルー(Dresden Blue)、レイヴン・ブラック(Raven Black)、ウィンブルドン・ホワイト(Wimbledon White)、キャンディアップル・レッド(Candyapple Red)といったより平凡な色と共に用意されていた。 1970年モデル前半の車では170 CIDの直列6気筒(L6)エンジンと200 CIDのL6の2種類のエンジンが選択でき、250 CIDのL6は年の半ばに追加された。 導入された1969年の4月から1969年モデルイヤー終了の8月までに生産された「1970年」モデルの初期型は、1969年9月以降の「本来の」1970年モデルには無い内装の特徴を有していた。この初期型のマベリックは、その他の1969年モデルイヤーの他のフォード車にも見られるホーンリング付2本スポークのハンドルを備えていたが、1970年モデルイヤーの生産車はハンドルが一新されてホーンリングがなくなっていた。また、初期型の車ではエンジン始動用の鍵の挿入口が計器盤上にあったが、1969年9月1日以降の生産車では1970年モデルイヤー以降に必須となった新しい連邦安全基準に適合するようにその他の全フォード車と同様にロック機構付ステアリング・コラムに移された。 4ドア・セダンは1971年に導入され、ビニールルーフ(vinyl roof)も選択できた。マーキュリーもマベリックの兄弟車としてマーキュリー・コメット(Mercury Comet)を復活させ、コメットとマベリックの両車に210 hp (160 kW) の302V8が導入された。コメットはマーキュリー・モンテゴ(Mercury Montego)から流用した新しいグリルとテールライト、ボディ加飾とボンネットを備えていた。 マッスルカーを模したグラバー・トリムパッケージ(Grabber trim package)が1970年半ばに導入された。このパッケージにはスポイラー、特製塗装、内装が含まれており、1970 - 1975年に設定された。1971年と1972年のグラバーには特別な「双こぶ」ボンネットが装着されていた。マーキュリー・コメット用の類似のパッケージであるコメット GTも1970 - 1975年に設定され、マベリック グラバーと同種の「"マッスルカー"」トリムに独自の特徴的なフードスクープ(hood scoop)を備えていた。 1972年には特別塗色の赤、白、青に揃いの内装を備えたスプリント・パッケージが設定された。ピントとマスタングでも同種のパッケージが設定されたが、このトリム・パッケージは1972年のオリンピックに協賛したもので1年間だけの限定であった。米国版ではリアクォータパネルに星条旗をデザインしたデカールが貼られていた。バッジは五輪のシンボルによく似ていたが、商標の侵害にならない程度に異なっていた。 柔軟なビニール素材表皮の可倒式バケットシート、ベルベット製フロアカーペット、木目調飾り付き計器パネル、ボディ共色のデラックス・ホイールカバーとビニールルーフを備えた「ラグジュリー・デコール・オプション」("Luxury Decor Option":LDO)トリムが1972年モデルイヤーの終盤に追加された。マベリック LDOオプション(マーキュリー・コメットにも設定された)は、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディやその他ブランド製のより高価なヨーロッパから輸入される高級/ツーリング・セダンとの間で廉価な(且つ国産の)比較検討の対象車として考えられる初の米国産コンパクトカーであった。 1973-1975年にマイナーチェンジが実施された。1973年には170 CIDエンジンが廃止になったことを受けて200 CIDのL6エンジンが標準となった。加えてブレーキの改良、以前はオプションであったクローム製グリルが標準となり、AM/FM ステレオ、アルミニウム製ホイールと新しい前部バンパーが追加された(後者は新しい連邦規制に対応して)。1974年は連邦規制に対応した後部バンパーと後部デッキの高さが増して容量が拡大されたトランク以外に変更は無かった。オイルショックによるガソリン価格の高騰と小型車の需要の高まりによりマベリックの人気は上昇し、販売数は前年よりも1万台以上も上回った。1975年に真のヨーロッパ調スタイルの豪華な小型車としてフォード・グラナダ(Ford Granada)とマーキュリー・モナーク(Mercury Monarch)が登場するとマベリックとコメットの生産数は下降した。マベリックは1975年に新しいグリル、ボンネットとトランク上の「Maverick」のネームプレートが黒文字の「FORD」に変更されるといった小規模な加飾類の変更が行われた。 1976年にグラバーが廃止され、スタリオン・パッケージ(Stallion package)が導入された。スタリオン・オプションは特別色と加飾類で構成され、4年前のスプリント・オプションと同様にフォード社はその他の車種、今回はピントと新型のマスタング IIにスタリオン・オプションを設定した。コメット GTは廃止された。ベースモデルのマベリックにはもう一つ別のグリルが与えられ、古風なダッシュボード下から生えるステッキ型に替わる足踏み式パーキングブレーキと共に前輪のディスクブレーキが標準となった。 1977年はマベリックとコメットにとり最後の年となった。警察業務用に十分な改造が施されず400台以下しか販売されなかったマベリックのポリス・パッケージ以外は両車共に変更箇所は無かった。マベリックは1979年までブラジルで生産が続けられた。北米でのフォード車の販売車種におけるマベリックの位置付けは実質的には1978年型フェアモントが引き継いだ。 元々1975年にグラナダとモナークにより代替されることになっていたためマベリックとコメットは生産終了に向けて大規模な変更は受けなかったが、フォード社は1978年モデルイヤーでフォード・フェアモント(Ford Fairmont)とマーキュリー・ゼファー(Mercury Zephyr)を導入するまでマベリックとコメットの販売を維持することを決めた。フェアモントとゼファーは全く新規の「フォックス」・プラットフォームを使用しており、このプラットフォームは1980年代半ばまで多くのフォード/マーキュリー/リンカーン車の基本プラットフォームとして採用された。
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