トリニティとベリオールのライバル関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:47 UTC 版)
「トリニティ・カレッジ (オックスフォード大学)」の記事における「トリニティとベリオールのライバル関係」の解説
長年の間、トリニティ・カレッジの学生と、すぐ西側にあるベリオール・カレッジの学生は、伝統的で熱心なライバル関係にある。ライバル関係は、競技場や川でのスポーツで証明されることもあるし、多かれ少なかれ侮辱的な歌を作って境界の壁越しに聞かせることも、互いのカレッジへの「急襲」(英: "raids")という形で明らかになることもある。この関係は、ケンブリッジ大学にあるトリニティ・カレッジと、ベリオールの姉妹カレッジであるセント・ジョンズ・カレッジ (ケンブリッジ大学)(英語版)の関係を反映したものである(但し、トリニティ・カレッジ同士は姉妹カレッジではない)。 カレッジの昔話を見ると、このライバル関係は17世紀遅くにまで遡ることができ、トリニティ・カレッジの学寮長だったラルフ・バサースト(英語版)が、ベリオール・カレッジの窓から石が投げられるのを見て驚いた、という逸話が残されている。実際のところ、最初の対立は1583年に記録されているものの (en) 、現代のようなライバル関係が露わになったのは1890年代遅くのことで、この頃、ベリオール・カレッジ側から "Gordouli" と呼ばれる歌が歌われるようになった。この歌の詩は以下の通りである。 原詩日本語訳"GordouliFace like a ham,Bobby Johnson says soAnd he should know." "Gordouli"、その顔はハムのよう、ボビー・ジョンソン(英語版)がそう言ってるぞ、やつの耳にもどうせ入る。 これらの歌詞は今ではほとんど聴かれないが、壁越しに聞こえた曲の節は、今でも "a Gordouli" として知られている。元々の歌は、第一次世界大戦中に、メソポタミア作戦(英語版)の塹壕でベリオール・トリニティ両カレッジの出身者によって歌われていたと伝わる。 ライバル関係は20世紀初頭にもうひとつの側面を見せることになり、ベリオール・カレッジの学生が多く左派的・急進的な政治姿勢を取ったのに対し、トリニティ・カレッジの学生は、伝統的に保守主義で社会的排他主義を取った生徒が多かった。1907年から1938年まで、トリニティ・カレッジの学寮長はハーバート・ブラキストン(英語版)が務めたが、彼は非白人の生徒の入学に消極的だったとして悪名高かった。また彼は、当時政府機関が入植を宣伝しようとしていた、イギリス領インド帝国からの学部生を受け入れるようにという、インド省からの圧力を頑として拒んだことでも有名である。ベリオールは対照的に、インドを始めとしたアジア諸国の学生を数多く受け入れ、トリニティ・カレッジ側からは、明らかなレイシズムのトーンで揶揄されたこともあった(例えば、ベリオールの学生たちは、レソトに住む民族であるソト族を意味する「バスト人」(英: Basutos)と呼ばれることもあった)。 ドロシー・L・セイヤーズは、1931年に発表したピーター・ウィムジイ卿シリーズの小説『五匹の赤い鰊(英語版)』の中で、ベリオール・カレッジ出身のピーター卿に、トリニティにいた同年代の学生で誰か覚えていないか問い掛けるシーンを書いている。卿は「トリニティの人間なんか覚えていない」と返し、更に「ユダヤ人はサマリア人と関わり合いになんかならない」と述べる。セイヤーズはまた、1933年発表の『殺人は広告する(英語版)』でもライバル関係を描き、トリニティ出身のイングルビィ氏(英: Mr Ingleby)に、「もしあれよりもっとおぞましいことがあるとすれば、ベリオール出身ということだな」(英: "If there is one thing more repulsive than another it is Balliolity.")と言わせている。 1962年から1963年頃、ベリオールからとんちの効いた襲撃があり、ラッパズイセンで埋め尽くされたトリニティの談話室(英語版) (JCR) の芝土を巻き込む事態となった。トリニティの学生3人(リチャード・トッド、リチャード・コーエン、ディードリー・スモール)が、1985年10月にベリオールの学部1年生に仕掛けた悪戯は、最も有名な事件のひとつでもある。彼らは「ベリオール」との見出しが付いた紙を使い、ベリオールの新入生たちに個人的に次のような手紙を出した。 「親愛なる[X]さん、ベリオールへようこそ。あなたもお気付きのように、入学に際して、大学では短い健康診断を行う必要があります。添付の検体ボトルに尿検体を入れて、水曜日の午後5時までに、遅れずに大学のチューターのオフィスへお戻しください。」"Dear [X], Welcome to Balliol. As you are aware the university requires a short medical check-up as part of your Coming-Up. Could you therefore please provide a urine sample in the attached sample bottle and return it to your college tutor's office by no later than 5.00 PM on Wednesday." 手紙は水曜日の夕方に送られ、ベリオール側は57人がこのいたずらに引っかかったことを認めた。この事件は、『デイリー・エクスプレス』で「学生たちがお隣さんにちっぽけなジョークを」(英: "students play wee joke on neighbours")との見出しが付いて報道された。この一件は、トッドとコーエンがベリオール・カレッジに向けて広げた、「私たちはベリオールです。おしっこを持ってこないでください!」(英: "We are Balliol. Please Don't Take The Piss!")という垂れ幕で一件落着した。最近では、2010年にトリニティのSCRの池が荒らされ、1匹を除いて全ての魚が死ぬという事件が起こっている。
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