トウシュウとは? わかりやすく解説

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とう‐しゅう〔‐シウ〕【東周】

読み方:とうしゅう

⇒周(しゅう)


とう‐しゅう〔‐シウ〕【東州】

読み方:とうしゅう

東方の国。関東東国。都から見ていう。

東洋

「是遠く西洋の事を援くに及ばず我が—に在て」〈西周明六雑誌四二〉


とう‐しゅう〔タフシウ〕【答酬】

読み方:とうしゅう

古くは「とうじゅう」とも》相手問いに対して答えること。返答また、返事の手紙の表に書き添える語。


とう‐しゅう〔タフシフ|タウシフ〕【踏襲/×蹈襲】

読み方:とうしゅう

[名](スル)前人やり方などをそのまま受け継ぐこと。「前社長方針を—する」


踏襲

読み方:トウシュウ(toushuu)

先人やり方や説をそのまま受け継ぐこと


滕脩Teng Xiu

トウシュウ
トウシウ

(?~288
晋使持節都督広州軍事安南将軍広州牧・武当忠侯

字は顕先。南陽郡西鄂の人。

もともと呉に仕えて将帥となり西鄂侯に封ぜられ、孫晧時代には熊睦の後任として広州刺史となり、はなはだ威光恩恵明らかにした。滕脩が広州刺史になったとき、ある人が一丈もの長さの鬚をもつがいると語ったが、滕脩は信用できなかった。その人がのちに東海へと出かけ、長さ四丈四尺の捕まえて滕脩に送ると、滕脩はやっと納得した呂岱伝》。

中央徴し返され執金吾となる。建衡元年(二六九)、左丞相陸凱は「滕脩らはみな清廉忠実卓越秀才であり、社稷根幹国家のよき補佐でありますので、陛下は彼らにお訊ねになり忠義尽くさせて下さいますよう」と陳情している《陸凱伝》。広州部曲督である郭馬らが反乱を起こすと、孫晧かねてより滕脩の威光恩恵が嶺表を心服させていることから、使持節都督広州軍事・鎮南将軍広州牧に任じて討伐命じた

まだ平定していないうちに官軍(晋軍)が呉に攻め込んだので、滕脩は人数率いて危難駆けつけたが、巴丘まで来たところで孫晧がすでに降服した知り喪服着け、涙を流しながら引き返した広州刺史閭豊・蒼梧太守王毅とともに印綬返上すると、詔勅により安南将軍任じられ広州牧・持節都督今まで通りとされ、武当侯に封ぜられたうえ鼓吹与えられ南方仕事委任された。

滕脩は南方にあること数年辺境夷狄たちも帰服した。太康九年(二八八)、卒去した。京師埋葬し欲しいと請願したことから、帝はその気持ち満悦し一頃の墓田を賜り声侯と諡した。のちに子息の滕並の上表により、忠侯と改められた。

参照王毅 / 郭馬 / 司馬炎(帝) / 孫晧 / 滕並 / 熊睦 / 陸凱 / 閭豊 / 呉 / 広州 / 西鄂県 / 蒼梧郡 / 東海 / 南陽郡 / 巴丘 / 武当県 / 洛陽県(京師) / 嶺表 / 安南将軍 / 侯 / 左丞相 / 刺史 / 使持節 / 執金吾 / 声侯 / 太守 / 忠侯 / 鎮南将軍 / 都督 / 部曲督 / 牧 / 諡 / 鼓吹


董襲Dong Xi

トウシュウ
トウシフ

(?~212?)
漢偏将軍

字は元代会稽郡余姚の人。

董襲は身の丈八尺もあり、武力人並み外れていた。孫策会稽郡入ったとき、董襲は高遷亭で出迎えた孫策は彼を見て偉丈夫だと思い門下賊曹に任命した。そのころ山陰では、かねてより賊徒黄龍羅・周勃数千人の徒党集めており、孫策は自ら討伐に出かけた。董襲はその手黄龍羅・周勃の首を斬り、帰国する別部司馬任じられ兵士数千人を授かった。のちに揚武都尉に昇進し孫策の皖城攻略、尋陽における劉勲討伐江夏における黄祖征伐従軍した

孫策薨去すると、孫権年少ながらに事業統括してゆくことになった。太妃(孫権の母)はそれを危惧して張昭および董襲らを引見し、江東保ち得るかどうか下問した。董襲は答えた。「江東地勢山川の堅固さ有しておるうえ、討逆明府(孫策)さまの恩徳民衆行き渡り、討孫権)さまが基礎継承され大人小者ご命令を奉っております張昭どのがもろもろ事務受け持ち、董襲らが爪牙となるのですから、これぞ地が利し、人が和すときであって万事憂いないのであります」。人々はみな彼の言葉勇壮感じた

鄱陽賊徒彭虎らが数万人を集めていた。董襲は淩統歩騭蔣欽とともに、おのおの手分けして討伐当たった。董襲が向かった先ではあっさり打ち破られたので、彭虎らは(董襲の)旌旗遠く見えただけですぐさま逃げ散り十日ほどですっかり平定された。董襲は威越校尉拝命し、(のちに)偏将軍昇進した

建安十三年(二〇八)、孫権黄祖討伐した。黄祖は二艘の蒙衝を横に並べ、沔口を両側から挟むようにして守った。しゅろの大綱を石に繋いで錨とし、船上にいる兵千人代わる代わる弩を発射すると、飛来する矢はのように降り注ぎ孫権軍勢前進することができなかった。董襲は淩統とともに先鋒となり、おのおの敢死百人率い、(敢死兵の)人々には鎧を重ね着して大舸船に乗り込ませ、(黄祖軍の)蒙衝と蒙衝の隙間突入した

董襲がその手持った刀で両側の綱を切断すると、蒙衝はでたらめに流れだし、(孫権の)大軍そのまま進撃した黄祖すぐさま城門開いて逃走したが、兵士追跡して斬って捨てた翌日、大宴会催されたが、孫権は盃を董襲に捧げながら言った。「今日宴会は、綱を切断した功績あればこそだ!」

曹操が濡須に進出すると、董襲は孫権随従して駆けつけた。(孫権は)董襲に五隻の楼船監督させ、濡須口に駐留させた。夜中に突然、暴風吹いて五隻の楼船横転した左右側近は走舸を切り離し、董襲に脱出するよう請願した。董襲が怒りながら「将軍任務受けてここで賊軍備えておるのだ。どうして投げ出して逃げることができよう!あえてまた言う者があれば斬るぞ」と言うと彼にあえて逆らおうとする者はなかった。その夜、船は崩壊し、董襲は死んだ孫権喪服着替えて葬儀参列した

参照呉夫人(太妃) / 黄祖 / 黄龍羅 / 周勃 / 蔣欽 / 曹操 / 孫権 / 孫策 / 張昭 / 歩騭 / 彭虎 / 劉勲 / 淩統 / 会稽郡 / 晥県(皖県) / 江夏郡 / 高遷亭 / 江東 / 山陰県 / 濡須 / 濡須口 / 尋陽県 / 鄱陽県 / 沔口 / 余姚県 / 威越校尉 / 討逆将軍(討逆明府) / 討将軍 / 別部司馬 / 偏将軍 / 門下賊曹 / 揚武都尉 / 敢死兵 / 前部先鋒) / 走舸 / 大舸船 / 蒙衝 / 楼船


桐秋

読み方:トウシュウ(toushuu)

陰暦七月異称

季節

分類 時候



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