とう‐しゅう〔‐シウ〕【東周】
読み方:とうしゅう
⇒周(しゅう)
とう‐しゅう〔‐シウ〕【東州】
とう‐しゅう〔タフシウ〕【答酬】
とう‐しゅう〔タフシフ|タウシフ〕【踏襲/×蹈襲】
滕脩
トウシュウ | ||
もともと呉に仕えて将帥となり西鄂侯に封ぜられ、孫晧の時代には熊睦の後任として広州刺史となり、はなはだ威光恩恵を明らかにした。滕脩が広州刺史になったとき、ある人が一丈もの長さの鬚をもつ蝦がいると語ったが、滕脩は信用できなかった。その人がのちに東海へと出かけ、長さ四丈四尺の蝦を捕まえて滕脩に送ると、滕脩はやっと納得した《呂岱伝》。 中央に徴し返されて執金吾となる。建衡元年(二六九)、左丞相の陸凱は「滕脩らはみな清廉忠実・卓越秀才であり、社稷の根幹、国家のよき補佐でありますので、陛下は彼らにお訊ねになり忠義を尽くさせて下さいますよう」と陳情している《陸凱伝》。広州の部曲督である郭馬らが反乱を起こすと、孫晧はかねてより滕脩の威光恩恵が嶺表を心服させていることから、使持節・都督広州軍事・鎮南将軍・広州牧に任じて討伐を命じた。 まだ平定していないうちに官軍(晋軍)が呉に攻め込んだので、滕脩は人数を率いて危難に駆けつけたが、巴丘まで来たところで孫晧がすでに降服したと知り、喪服を着け、涙を流しながら引き返した。広州刺史閭豊・蒼梧太守王毅とともに印綬を返上すると、詔勅により安南将軍に任じられ、広州牧・持節・都督は今まで通りとされ、武当侯に封ぜられたうえ鼓吹を与えられ、南方の仕事を委任された。 滕脩は南方にあること数年、辺境の夷狄たちも帰服した。太康九年(二八八)、卒去した。京師に埋葬して欲しいと請願したことから、帝はその気持ちに満悦し、一頃の墓田を賜り、声侯と諡した。のちに子息の滕並の上表により、忠侯と改められた。 【参照】王毅 / 郭馬 / 司馬炎(帝) / 孫晧 / 滕並 / 熊睦 / 陸凱 / 閭豊 / 呉 / 広州 / 西鄂県 / 蒼梧郡 / 東海 / 南陽郡 / 巴丘 / 武当県 / 洛陽県(京師) / 嶺表 / 安南将軍 / 侯 / 左丞相 / 刺史 / 使持節 / 執金吾 / 声侯 / 太守 / 忠侯 / 鎮南将軍 / 都督 / 部曲督 / 牧 / 諡 / 鼓吹 |
董襲
トウシュウ | ||
董襲は身の丈が八尺もあり、武力は人並み外れていた。孫策が会稽郡に入ったとき、董襲は高遷亭で出迎えた。孫策は彼を見て偉丈夫だと思い、門下賊曹に任命した。そのころ山陰では、かねてより賊徒の黄龍羅・周勃が数千人の徒党を集めており、孫策は自ら討伐に出かけた。董襲はその手で黄龍羅・周勃の首を斬り、帰国すると別部司馬に任じられ、兵士数千人を授かった。のちに揚武都尉に昇進し、孫策の皖城攻略、尋陽における劉勲討伐、江夏における黄祖征伐に従軍した。 孫策が薨去すると、孫権が年少ながらに事業を統括してゆくことになった。太妃(孫権の母)はそれを危惧して、張昭および董襲らを引見し、江東を保ち得るかどうかを下問した。董襲は答えた。「江東の地勢は山川の堅固さを有しておるうえ、討逆明府(孫策)さまの恩徳は民衆に行き渡り、討虜(孫権)さまが基礎を継承され、大人も小者もご命令を奉っております。張昭どのがもろもろの事務を受け持ち、董襲らが爪牙となるのですから、これぞ地が利し、人が和すときであって、万事憂いないのであります」。人々はみな彼の言葉を勇壮に感じた。 鄱陽の賊徒彭虎らが数万人を集めていた。董襲は淩統・歩騭・蔣欽とともに、おのおの手分けして討伐に当たった。董襲が向かった先ではあっさり打ち破られたので、彭虎らは(董襲の)旌旗が遠くに見えただけですぐさま逃げ散り、十日ほどですっかり平定された。董襲は威越校尉を拝命し、(のちに)偏将軍に昇進した。 建安十三年(二〇八)、孫権は黄祖を討伐した。黄祖は二艘の蒙衝を横に並べ、沔口を両側から挟むようにして守った。しゅろの大綱を石に繋いで錨とし、船上にいる兵千人が代わる代わる弩を発射すると、飛来する矢は雨のように降り注ぎ、孫権の軍勢は前進することができなかった。董襲は淩統とともに先鋒となり、おのおの敢死兵百人を率い、(敢死兵の)人々には鎧を重ね着して大舸船に乗り込ませ、(黄祖軍の)蒙衝と蒙衝の隙間に突入した。 董襲がその手に持った刀で両側の綱を切断すると、蒙衝はでたらめに流れだし、(孫権の)大軍はそのまま進撃した。黄祖はすぐさま城門を開いて逃走したが、兵士が追跡して斬って捨てた。翌日、大宴会が催されたが、孫権は盃を董襲に捧げながら言った。「今日の宴会は、綱を切断した功績があればこそだ!」 曹操が濡須に進出すると、董襲は孫権に随従して駆けつけた。(孫権は)董襲に五隻の楼船を監督させ、濡須口に駐留させた。夜中に突然、暴風が吹いて五隻の楼船は横転した。左右の側近は走舸を切り離し、董襲に脱出するよう請願した。董襲が怒りながら「将軍の任務を受けてここで賊軍に備えておるのだ。どうして投げ出して逃げることができよう!あえてまた言う者があれば斬るぞ」と言うと、彼にあえて逆らおうとする者はなかった。その夜、船は崩壊し、董襲は死んだ。孫権は喪服に着替えて葬儀に参列した。 【参照】呉夫人(太妃) / 黄祖 / 黄龍羅 / 周勃 / 蔣欽 / 曹操 / 孫権 / 孫策 / 張昭 / 歩騭 / 彭虎 / 劉勲 / 淩統 / 会稽郡 / 晥県(皖県) / 江夏郡 / 高遷亭 / 江東 / 山陰県 / 濡須 / 濡須口 / 尋陽県 / 鄱陽県 / 沔口 / 余姚県 / 威越校尉 / 討逆将軍(討逆明府) / 討虜将軍 / 別部司馬 / 偏将軍 / 門下賊曹 / 揚武都尉 / 敢死兵 / 前部(先鋒) / 走舸 / 大舸船 / 蒙衝 / 楼船 |
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