デザインと設計
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まずブル・リングでは、セルフリッジズ・デパートの支店が入居する、画期的な建物が特徴である。建物はロンドンがベースの設計事務所フューチャー・システムズ(英語版)とアラップ社が行い、光沢のある1万5000枚のアルミニウムの円盤が取り付けられるなど奇抜な近未来型の建造物となっている。設計したアラップ社によれば、これは、ファッションデザイナーであるパコ・ラバンヌ(英語版)作の、スパンコールが付いた衣装からヒントを得たものであるという。このセルフリッジズの店舗には6000万ポンドの建設費用が掛けられており、ライン・オルーク社が建設を請け負った。2万5000平方メートルを覆うセルフリッジズ店舗のデザインは、もとあった古いショッピングセンターの取り壊しが行われる少し前の、1999年に初めて披露された。セルフリッジズは2004年の RIBA(王立英国建築家協会)アウォード (Award) やデスティネーション・オブ・ザ・イヤー・リテール・ウィーク・アウォード (Destination of the Year Retail Week Awards) 等、建築に関して8つの賞を受賞している。 ショッピングセンターは店舗が並ぶ地下道が接続し、ガラス製のドアを経由してセント・マーティン・スクエアからも通行可能な、2棟の主要な建物(イースト・モールとウェスト・モール)で構成されている。これら2棟のモールは、それぞれ内部のデザインが異なっている。イースト・モールにある手すりには、金属の骨組みと共にガラスの「宝石」が融和した作りになっており、それらはポリエステルがコーティングされ、各々に異なった配色が施されている。また、建物の至る所でコーム・デジタル社製のタッチ式コンピュータが設置され、買い物客は画面を触れることで、特定の店の位置や建物の地図が表示されるようになっている。 再開発全体は同時進行で公式なプロジェクト雑誌にその経過が掲載され、その後に記念としてブル・リングの推移がイラストや写真で描かれる、「アート・ブック」形式の本が製作された。これら雑誌と本は専門出版社のアルマ・メディア・インターナショナルから出版されている。 ニュー・ストリートから双方の建物へ繋がるドアは、買い物客が混雑したりドアの前で長い列が出来る際に取り外されることがある。同じく、特定の車両が屋内で展示される際、車を内部へ入れるためにドアが外される。 ブル・リングはバーミンガム再開発計画の一部でもある。センターにはイギリスに9つ営業しているApple Storeのうちの2番目の店舗が入居し、また当初「ディクソンズXL」として開店した巨大なディクソンズの店舗は、後の2006年に他のチェーン店と相まって「カリーズ・デジタル」へとブランド名を変更した。ディクソンズの店舗は期待はずれの業績で、ゲームやゲーム関連機器が主に販売されていた区間は、現在閉鎖されている。他にもチェーン全体の事業の衰退等が原因で閉店となった店舗があり、その中にはナイキやエル、ザ・ガジェット・ショップやミュージック・ゾーンが含まれている。 2004年と2005年、建設会社マークス・バーフィールドによりデザインされ、「スパイラル・カフェ」と名付けられた小さなカフェが、セント・マーティン・スクエアからニュー・ストリートへ向かう階段に沿って建設された。この建物の形は貝殻に似せて作られており、丸みを帯びた青銅の屋根の両端はガラスで覆われている。 パーク・ストリートには駐車場があり、ここから歩道橋を通じてセルフリッジズの店舗へと繋がっている。「パラメトリック・ブリッジ」と名付けられたこの歩道橋は、全長37メートルでポリカーボネートが表面を覆っており、通り全体に伸びている。建物の地階には近代的な家具のショールームが設けられている。
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デザインと設計
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「デ・ハビランド ゴブリン」の記事における「デザインと設計」の解説
エンジンはフランク・ハルフォードが1941年4月にロンドンに設立したコンサルティング会社の設計によるものであった。基本設計はフランク・ホイットルの遠心圧縮型によるもので、圧縮した空気を16の独立した燃焼器に提供し、その燃焼ガスが1段の軸流型タービンを駆動した。ホイットルのものと比べると、H-1は入口部を前面に持つ片側圧縮型で、燃焼室からの燃焼ガスは直接タービンに当たる「直線式(straight through)」であった。他方、ホイットルの設計では、全長を短くするために「反転式(reverse flow)燃焼室」を採用し、燃焼ガスはエンジン中央までパイプにより「折り曲げられて」導かれていた。ハルフォードのこの簡略化により、主要なベアリングを一箇所取り除くことが出来た。しかしながら、「折り曲げ」デザインを採用しなかったにもかかわらず、エンジンは非常にコンパクトに設計されていた。 H-1の最初の試運転は1942年4月13日に行われたが、2ヶ月の間に熟成され、予定の推力を発揮した。グロスター ミーティアに搭載しての初飛行は1943年3月5日に実施され、9月26日にはデ・ハビランド バンパイアに搭載され飛行試験が行われた。ちょうどその頃、デ・ハビランドはハルフォードの会社を買収し、彼をデ・ハビランド発動機(de Havilland Engine Company )の会長に据えた。これにより、H-1はゴブリン、新設計のH-2はゴーストと名称が変更された。 1943年7月、2基あったH-1の内1基がアメリカに送られた。そこで、P-80 シューティングスターに搭載されることに選定された。このエンジンは試作機に装備され、1944年1月9日に初飛行が実施された。このエンジンは、地上試験で事故を起こし破壊されてしまったため、英国に残っていた1基がバンパイアから取り外され、送られた。アリス=チャルマーズ社(Allis-Chalmers)がアメリカでのエンジン製造会社に選ばれ、J36の名称が与えられたが、生産開始は遅れてしまった。このため、ゼネラル・エレクトリックが開発したアリソン J33(英語版)が、I-40(ホイットルの W.1を基にしたJ31の大幅改良版で、推力4,000 lbf(18 kN)を出した)としてP-80試作機に搭載された。
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