タムスク爆撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
辻はモンゴル領内のソ連軍航空基地タムスクの敵航空戦力を偵察するため、「神風号」という名称で東京 - ロンドン間の連絡飛行に成功して勇名を轟かせていた、陸軍航空隊新鋭の高速偵察機九七式司令部偵察機に自ら乗り込み、タムスク上空を飛んだが、敵戦闘機の追撃を受けて十分な偵察ができなかった。それでも大量のガソリンが集積されていることを確認し、敵航空戦力が集結しているものと考え、タムスク爆撃の必要性を痛感している。6月22日にはソ連軍戦闘機150機の大編隊が越境、アムクロとノモンハンの中間の空域で全力出撃した日本軍戦闘機隊と激しい空戦となった。この空戦も5月と同様に日本軍が優勢であり、ソ連軍機56機撃墜を報告しながら日本軍の損失はわずか4機であった。その後4日間にわたって連日、日本軍とソ連軍の戦闘機大編隊同士の空戦が発生し、日本軍は合計147機の撃墜を報告している。ソ連軍航空部隊の活発な活動に危機感を抱いた関東軍は、6月23日に敵の航空基地であるタムスクを攻撃することを決めた。ただし越境攻撃はたとえ空からの攻撃でも禁止されていたので、関東軍は参謀本部に内密に進めることとした。 しかし、関東軍のタムスク爆撃は、出撃直前に関東軍参謀の片倉衷中佐の内部告発により、参謀本部に知れるところとなり、参謀本部は慌てて関東軍に「モンゴル領内の爆撃は適当ならず」と自発的中止を促す打電をした。それを受けた関東軍は騒然となったが、中央から連絡将校が到着する前に爆撃を強行することとし、計画通り、27日に戦闘機77機と重爆撃機24機、軽爆撃機6機でタムスクを爆撃した。この作戦計画の主導した辻はわざわざ戦果確認のために自ら爆撃機に同乗するほどの力の入れようであった。関東軍が参謀本部の中止命令を無視して空襲を強行した理由として、あくまでもこの空襲は先に越境空襲してきたソ連軍への報復攻撃であり、任務達成上の戦術的手段として関東軍司令官の権限の属すると判断したからであり、辻は「中央に黙って敢行し、偉大な戦果を収めてから東京を喜ばせてやろうというような“茶目っ気”さえ手伝った」とこのときの関東軍の状況を回想している。空襲は成功し、関東軍は華々しく撃墜98機、大破18機、中小破38機の合計149機を撃墜破する大戦果を挙げたと参謀本部に報告した。大戦果を報告してきた関東軍作戦課長の寺田に対し、陸士29期の同級生であった稲田正純参謀本部作戦課長は「馬鹿ッ、何が戦果だ」「余りと言えば無礼の一言」と怒鳴りつける異例の展開となったが、この独断専行が参謀本部と関東軍を決定的に対立させる導火線となった。 侍従武官の畑俊六大将が、ことの顛末を昭和天皇に報告すると、昭和天皇は「関東軍司令官を譴責(けんせき)するか、何らかの処分をすべきである」との意向を示し、その後に詳細を報告に参内した中島鉄蔵参謀次長に対しては「外蒙を無断で爆撃した責任は誰がとるのか」と下問したが、中島は「まだ作戦中ですので、終結した時点で、必要な処置を講じます」と返答し、結果的に関東軍の独断専行を容認することとなった。しかし、昭和天皇はよほど不満であったのか「将来もこのようなことは度々起こらざる様注意せよ」と閑院宮載仁親王参謀総長に念を押している。この頃になると関東軍を実質的に動かしているのは少佐に過ぎない辻であると参謀本部で認識されつつあった。作戦課長の稲田は陸軍省に出向き、参謀人事を所管する庶務課長や課長補佐に辻の更迭を申し出たが「あれは役にたつ男ですよ」と煮え切らなかったため、陸相の板垣に直談判したが、板垣はかつて辻を部下として重用したこともあり、稲田の直訴に対し笑みを浮かべながら「そういわないでかわいがってくれよ」と取り合わなかった。そのため、辻の独断専行はこの後も続くこととなった。 昭和天皇の懸念もあり、関東軍に一定の歯止めをかける必要に迫られた参謀本部は、昭和天皇の裁可を得た『大陸命320号』で関東軍の役割を規定し、『大陸指491号』で関東軍の作戦範囲を「地上戦闘行動は概ねブイル湖以東における満州国外蒙古境界地区に限定するに勉めるものとす」「敵根拠地に対する航空攻撃は行わざるものとす」と定めた。しかし、この大陸指に対する補足が、後日参謀本部から関東軍に示されたが、その中に「一時国境外に行動する件は、常続的権限としての御裁可は得られないが、万やむをない場合は、当方でも、それ相当の配慮をする所存である」とあり、タムスク爆撃で昭和天皇を激怒させた越境爆撃については明白に禁止していたが、陸上部隊の越境攻撃には含みを持たせており、結局辻ら関東軍参謀が計画していた陸上部隊による越境攻撃を抑止する効果は全くなかった。
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