スクワイアズおよびウェルズの公判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:54 UTC 版)
「エリザベス・キャニング」の記事における「スクワイアズおよびウェルズの公判」の解説
暴行と窃盗で訴えられたスクワイアズと、共犯者が実行したことを「よく知っている」("well-knowing")ウェルズは、2月21日に、オールド・ベイリーのセッション・ハウスで公判に付された。ロンドン市長サー・クリスプ・ガスコインは、マーティン・ライト(Martin Wright)(高等法院王座部の判事(Justice of the King's Bench))、ナサニエル・ガンドリー(Nathaniel Gundry)(人民訴訟裁判所(Justice of the Common Pleas))、リチャード・アダムス(Richard Adams)(1753年以来財務裁判所裁判官(Baron of the Exchequer)。もとロンドン法律顧問(Recorder of London))、およびウィリアム・モアトン(William Moreton)(1753年ロンドン法律顧問就任)を含む、裁判官団で司会をつとめた。傍聴人席は興味のある観客ですしずめであった。盗難の容疑はたいへん重かった。キャニングのステイ(約10シリング)の価値は、もし有罪となれば、スクワイアズがほぼ確実にタイバーン・トリー(Tyburn Tree)で絞首刑になるということを意味した。 キャニングが裁判所に着くと、建物の外に集まった大勢の群衆に声援を送られた。内部では、彼女は、自分は1月2日午前4時ころに男2人に「被告人ウェルズの家に」("to the prisoner Wells's house")連れて行かれた、と証言した。台所では、老女(スクワイアズ)が椅子に座っていて、彼女に「わたしが彼女らの道を行くことを選ぶかどうか」("if I chose to go their way")を尋ねた。キャニングに拒否されて、スクワイアズは彼女のステイを切り、顔を平手打ちし、階段を昇って暗い部屋に押しやるように促した。彼女は裁判所に言った、自分は「何も起こらず、昼の光が出てきたら部屋のなかが見えました。そこには暖炉と火格子があり、ベッドもベッドの枠組みもありませんでした。あったのは、あまり水が入っていない黒いピッチャーが1つ、パンが24個くらい…4分の1個くらいです」("saw nothing brought up[, but w]hen day-light appeared, I could see about the room;there was a fire-place and a grate in it, no bed nor bedstead, nothing but hay to lie upon;there was a black pitcher not quite full of water, and about twenty-four pieces of bread ... about a quartern loaf")。彼女は、逃げたのは屋根裏の北端の窓から板を1枚はがし、登って外に出て、下の柔らかい粘土に跳び降りたのだ、と主張した。彼女は、家のかげの小道に沿って、いくつかの原を抜け、ロンドンに向かう道を見つけて逃げた。彼女は、帰り道で人に会ったり話したりしたかと尋ねられて、それはないと答え、逃げ出した家の者に会うのを恐れて接触から逃げた、と説明した。キャニングは、ウィリアム・デイヴィー(William Davy)によって反対尋問されたが、彼は家のなかでの出来事の回想に疑問を投げかけた。なぜ彼女が以前に逃げようとしたことがなかったか、その理由を尋ねた。「彼らがわたしを解放するかもしれないと思ったからです。それは、その[月曜日]朝になってようやく頭に思い浮かびました」("Because I thought they might let me out; it never came into my head till that [Monday] morning." )証人席で静かにつぶやいていたスクワイアズが叫んだ「わたしは生まれてからきょうまでこの証人を見たことなどいちどもないわ」("I never saw that witness in my lifetime till this day three weeks")。 次に証人席に姿を現わしたのはヴァーチュー・ホールであって、彼女は以前の供述の多くをフィールディングに語った。スクワイアズが言葉をはさんで訊ねた「その若い女性が強盗にあったのは何曜日でしたか?」("What day was it that the young woman was robbed?")答えは裁判所から戻ってきた。「彼女は1月2日の朝と言っています」そしてスクワイアズが答えた「わたしに言ってくれてありがとう、なぜならわたしは未産児なみに無実だから」スザンナ・ウェルズはこの機会を利用して、スクワイアズと彼女の家族がどれくらいの期間、家にいたことになっているのかと訊ね、ホールは答えた「彼らはあわせて6週間か7週間でした。彼らは2週間ほどそこにいて、それからその若い女が連れてこられたのです。」("They were there six or seven weeks in all;they had been there about a fortnight before the young woman was brought in")とりわけ、トマス・コリーとミセス・キャニング夫人も証言した。キャニングの元雇用者ジョン・ウィントルベリーは、裁判所に、キャニングが留め置かれたのはウェルズの家だとどのように推測したかを語った。メアリー・マイヤーズとジェームズ・ロードもまた、キャニングが「ウィルズまたはウェルズ」("Wills or Wells")と言うのを聞いた、と主張したし、このことは、ロバート・スカラも、おこなったが、彼は牡ジカの角(つの)(hartshorn)のすりおろし人で、以前はエドモントン(Edmonton)近くで召使で、ウェルズの家を訪れていた。 フォーチュンもジュディス・ナトゥスも両者ともに証人席に呼ばれなかったけれども、責任のある代理人はのちに、外部の暴徒が証人数人を脅迫した可能性がある、と説明した。スザンナ・ウェルズの隣人らは暴徒によって退けられたし、彼女の娘と異父母兄弟はすぐに本人と確認され、止められた。しかしながら、彼の母親について証言するために、ジョージ・スクワイアズによってドーセットで発見された証人3人は、本人確認されないまま通過した。最初のジョン・ギボンズ(John Gibbons)は、スクワイアズ一家が1月1日ー9日に「町で売り歩くハンカチーフ、ローン織物、綿モスリン、チェックをもって」("with handkerchiefs, lawns, muslins, and checks, to sell about town")アボッツベリーの彼の家を訪れた、と言った。これは彼の隣人ウィリアム・クラーク(William Clarke)によって裏付けられた。スクワイアズの最後の証人、トマス・グレヴィル(Thomas Greville)の主張によれば、彼は1月14日にメアリーと「彼女の姉妹と兄弟」("her sister and her brother")をクーム(Coombe)の彼の屋根の下に収容し、そこで彼らは「ハンカチーフ、ローン織物、およびそのようなもの」("handkerchiefs, lawns, and such things")を売った。これは、ジョン・イナイザー(John Iniser)という、ウォルサム・クロス(Waltham Cross)とセオバルズ(Theobalds)の周りの魚屋によって否定された。イナイザーの主張によれば、彼はスクワイアズの顔は知っており、彼女の逮捕の3週間前に、ウェルズの家の近くで彼女が占いをしているのを見た。ウェルズの証人らは外の暴徒のそばを通り抜けることができなかったし、ウェルズは彼女の弁護でたった2つの文しか提供できなかった。彼女は裁判所に語った、自分は2月1日より前にキャニングを見たことがない、そして、「スクワイアズに関しては、わたしは、わたしたちがつかまる1週間前と1日以上前に彼女をいちども見たことがない」("as to Squires, I never saw her above a week and a day before we were taken up.")と。『London Daily Advertiser」の同時代の報告によると、証人3人が退廷したとき、暴徒は庭で待っていて、「彼らを殴り、蹴り、犬小屋のなかで転がし、その他の方法で彼らを虐待し、それから逃げさせた」("beat them, kicked them rolled them in the Kennel and otherwise misused them before they suffered them to get from them")
※この「スクワイアズおよびウェルズの公判」の解説は、「エリザベス・キャニング」の解説の一部です。
「スクワイアズおよびウェルズの公判」を含む「エリザベス・キャニング」の記事については、「エリザベス・キャニング」の概要を参照ください。
- スクワイアズおよびウェルズの公判のページへのリンク