スアンロク攻防戦の始まりとは? わかりやすく解説

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スアンロク攻防戦の始まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 15:29 UTC 版)

スアンロクの戦い」の記事における「スアンロク攻防戦の始まり」の解説

ロンカン省スアンロク付近主要目標を全て確保した北ベトナム軍第4軍団では、スアンロク死守の任に付いた南ベトナム軍第18師団対す大攻勢為に4日間の準備期間設けた北ベトナム軍第4軍団司令官ホアン・カム少将作戦方針について、攻撃主力を彼自身率い歩兵による総力正面攻撃定め、これを北および北西側展開する砲兵および戦車援護するものとした。さらに東側からも北ベトナム軍第4軍団副司令官ブイ・カト・ブ大佐率い部隊攻撃を行うこととなった北ベトナム軍着々と攻勢準備整える中、南ベトナム軍レ・ミン・ダオ将軍とロンカン省地方軍司令官グエン・バン・フク大佐もまた敵の大攻勢見越して各部隊移動行なっていた。戦闘直前ダオ海外メディア対す会見次のように語った。 私はスアンロクの死守決断した例え共産主義者ありったけの師団をここに派遣したとしても、私はそれら全て撃滅しよう!全世界我がベトナム共和国陸軍精強さを目の当たりにするであろう。 —レ・ミン・ダオ1975年4月9日午前5時40分、北ベトナム軍第4軍団はスアンロク市街地対す砲撃開始した。これに呼応して市街北側から突入した北ベトナム軍341歩兵師団一部1時間以上にわたる激し戦闘の末に南ベトナム軍通信施設警察署占領する。しかし北側から移動しつつあった北ベトナム軍部隊南ベトナム軍52タスクフォースによる反撃受けて足止めされた。東側からは北ベトナム軍第7歩兵師団接近していたが、彼らは戦車による援護受けられなかった為、戦闘の初期段階大きな損害を被ることになる。8時までに北ベトナム軍第4軍団司令部は第7歩兵師団援護するべく8両の戦車派遣したが、これらは到着前に南ベトナム軍によって全て撃破されている。 正午までに北ベトナム軍209270歩兵連隊南ベトナム軍第18師団司令部知事公邸防衛当たっていた南ベトナム軍4348歩兵連隊撃破、これらの施設占領する。さらに市街南側では北ベトナム軍第6歩兵師団がホンギア-メボンコンを通る幹線道路1号線上に設置され南ベトナム軍防衛陣地攻撃占領した4月9日南ベトナム軍第18師団北ベトナム軍両側面に対す反撃を行う。これは北側および北西側主とする北ベトナム軍攻勢遅延することが目的であった4月10日から11日にかけて、北ベトナム軍第7歩兵師団複数回に渡り南ベトナム軍の有力部隊、すなわち第18師団、第52タスクフォース、第5装甲騎中隊撃破試みた。しかし攻撃試みる度に側面攻撃などの妨害を受け、結局はいずれの部隊撃破にも失敗している。北西側でも北ベトナム軍341歩兵師団所属北ベトナム軍226270歩兵連隊南ベトナム軍43歩兵連隊、第322装甲旅団による側面攻撃受けて足止めされ、大幅に遅延余儀なくされている。北ベトナム軍が有力部撃破試みていた2日間、南ベトナム第5空軍師団南ベトナム軍第18師団対す支援として200回以上の航空支援行なっている。4月11日深夜レ・ミン・ダオ密かにタンフォンに南ベトナム軍第18師団司令部移して戦力再結集図りさらなる抵抗試みた。その一方、ファン・バン・フク大佐もまたヌイティに臨時司令部設置して抵抗再開している。 4月12日南ベトナム軍参謀本部ではスアンロク防衛為に予備戦力の投入決定する。これを受けて南ベトナム軍1空旅団がバオディンのゴム農場防御陣地構築し、また2個海兵旅団ビエンホアから続く東側街道守備についた。さらにタンフォンとダウジアイは南ベトナム軍33レンジャー大隊、第8、第5歩兵師団、第8歩兵大隊、第315、第318、第322装甲旅団などによる援軍を受ける。これらの援軍前線に向かう経路確保するべく、ビエンホアおよびタンソンニャットの南ベトナム空軍作戦機一日あたり80120回の戦闘出撃行なったという。4月12日午後2時、スアンロクから程近いスアンビンの集落に対して南ベトナム空軍所属C-130が2発のCBU-55デイジーカッター爆弾投下した。同集落北ベトナム軍拠点として利用しており、この爆撃によって民間人北ベトナム軍将兵あわせて200名が死亡したまた、南ベトナム軍側でも爆風巻き込まれことによる少数犠牲者出たとされる4月13日南ベトナム解放軍南ベトナム解放民族戦線軍事部門司令官チャン・ヴァン・チャ将軍北ベトナム軍第4軍団司令部訪問するチャ将軍司令部将校団との会議の中で、攻撃作戦方針変更提案したその方針とは北ベトナム軍第6歩兵師団と第341歩兵師団一部をもってスアンロク防衛線の弱点と見なされたダウジアイを攻撃し、さらにバリア-ブンタウ間を繋ぐ幹線道路2号線およびスアンロク-ビエンホア間を繋ぐ幹線道路1号線沿った防御陣地設置していくというものであった同日北ベトナム軍第2軍団はスアンロク攻撃援護するべく、第95歩兵連隊に対して北ベトナム軍第4軍団指揮下に入る旨の命令を下す北ベトナム軍将軍たちが新たな作戦方針討議していた頃、南ベトナム軍共産主義者によるスアンロク攻撃撃退戦況逆転宣言した。スアンロクにおける南ベトナム軍頑強な抵抗受けてチュー大統領は「ベトナム共和国軍祖国を守るべくその戦闘能力回復した」旨を伝え声明発表した

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