スィナンの建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 12:39 UTC 版)
「ミマール・スィナン」の記事における「スィナンの建築」の解説
「オスマン建築」も参照 工兵部隊において培われた経験は、スィナンが建築に対して、理論的なアプローチをとるよりも、経験的なアプローチをとることに役立った。さまざまな資料に基づくと、スィナンが建築した建物は、少なくとも、モスク92箇所、マスジド52箇所、マドラサ55箇所、ダリュクッラ(クルアーン学校、darülkurra)7箇所、墓廟(türbe)20箇所、イマレット(公共の厨房、imaret)17箇所、ダリュッシファ(病院、darüşşifa)、公共水道6箇所、橋10箇所、キャラヴァンサライ20箇所、宮殿36箇所、地下礼拝堂8箇所、トルコ式公共浴場48箇所の、合計374の建築物にのぼる。オスマン帝国のすべての建築事業を監督する役目を担う帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)を、スィナンは50年間近く務め、何人もの設計者や熟練した建築技術者のアシスタントを含んだ大きなチームで仕事を進めた。 スィナンは自伝で自らの仕事を3つの時期に分けて説明している。シェフザーデ・ジャーミイ(英語版)を建てるまでが「徒弟の時代」、スレイマニエ・ジャーミイを建てるまでが「職人の時代」、セリミーエ・ジャーミイを建てるに至った以後が「親方の時代」である。 スィナンが建てた3つの帝室モスク シェフザーデ・ジャーミイ スレイマニエ・ジャーミイ セリミーエ・ジャーミイ
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