「親方の時代」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 07:21 UTC 版)
「ミマール・スィナン」の記事における「「親方の時代」」の解説
スィナンの人生も終わりに差し掛かったこのころになると、彼は建物の内側を高尚で優雅な造作で統一しようとした。この目的を達成するため、中央ドームを支える柱以外の付加的な要素の一切が排除された。この設計思想に基づく作例は、ソコッル・メフメト・パシャ・ジャーミイやセリミーエ・ジャーミイに見ることができる。その他の晩年の作においても空間や壁の扱いに、それ以前のオスマン建築にはなかったスィナンの試行錯誤が見られる。 自伝によるとスィナンはエディルネのセリミーエ・ジャーミイこそが自分の最高傑作であると認識していた。確かにこのモスクは伝統的なオスマン建築の縛りにとらわれることなく、古典期オスマン建築のすべてにおける絶頂であると言え、スィナン建築の到達点を示している。スィナンは建築中に「『アヤソフィヤより大きなドームは作れるわけなかろう、ましてやムスリムには』などとは金輪際言わせん」と発言したと伝えられる。そのため、千年古い偉大なアヤソフィヤへの、この対抗意識こそが本モスク設計の動機であったと考えられる。実際に、床からドームの天井までの高さはアヤソフィヤより高い(ただし、地上からの高さを測るとセリミーエのほうがアヤソフィヤより半メートルほど低い)。完成時には齢80を越えていたスィナンであったが、穹窿の内側にこの上なく全一化された空間を作り出すという狙いをついに実現させた。今回採用したのは直径31.28メートル、高さ42メートルの八角形の中央ドームである。このドームを支える大理石と御影石でできた8本の柱は柱頭を一切持たず、その代わりに入隅迫持もしくは持ち送りを持つ。これはアーチが柱の外側からだんだんと持ち上がってくるような視覚効果を生む。さらに、縦に長い側廊が遠方に配置されることでこの立体的効果が見るものの目に強く印象付けられる。堂内には立ち壁に多数設けられた窓から外光が降り注ぐ。中央ドーム構造体を支持するバットレスとして機能する半ドームがドーム下の四隅に設置されている。類まれな開放感と優美さを演出することによって、荷重や内壁の張力は隠されている。礼拝空間の四隅に建つ尖塔は高さ83メートル、当時のイスラーム世界においては最も高いミナレットであり、イスタンブルの町に威容を示す本モスクの形状に垂直方向のアクセントを与えている。 ダマスクスで一番有名な建物と思われている、バラダ川沿いに建つテッキーヤ・スレイマニエ・ジャーミイ(英語版)及び付属のキャラヴァンサライや、ブルガリアの首都ソフィアで現在でも唯一、モスクとしての機能を果たし続けているバニャ・バシ・ジャーミイ(英語版)も、スィナンが設計したものである。
※この「「親方の時代」」の解説は、「ミマール・スィナン」の解説の一部です。
「「親方の時代」」を含む「ミマール・スィナン」の記事については、「ミマール・スィナン」の概要を参照ください。
- 「親方の時代」のページへのリンク