戦闘の初期段階
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「戦闘の初期段階」の解説
ノルマン軍の弓兵が丘の高みに向け、イングランド軍の楯壁(英語版)に矢を放って戦闘が開始され、これはほとんど効果を生まなかった。上向きの角度で、矢はイングランド軍の楯に跳ね返されるか、あるいは目標を越えて丘の頂を飛び去ってゆくこととなった。イングランド軍の弓兵の不在で、拾い集めて再利用するイングランド軍の矢がほとんど存在せず、ノルマン軍の弓兵は妨げを被った。弓兵の攻撃に次いで、ギヨームは槍兵をイングランド軍攻撃のため前面に送り出した。彼らは矢でなく、槍や斧や石による飛び道具の弾幕に遭遇した。歩兵は楯壁の間に突破口を押し開くことができず、騎兵が援護のために前進した。騎兵もまた進捗を達成するに至らず、ギヨームの左翼側のブルトン人部隊に端を発した全体の後退が始まった。公が戦死を遂げたという噂が流れて、混乱がさらに深まった。イングランド軍は後退する侵攻軍側への追撃を開始したが、ギヨームは配下軍勢の中に馬を巡らせ、顔を示して自分は健在であると叫んで廻った。そして公は追撃をかけるイングランド軍部隊に対する反撃を率いた。一部のイングランド勢はある小山の上に結集し、次いでそこで圧倒された。 イングランド軍の追撃がハロルドの命令によるものか、あるいは自然発生的なものであったかは不明である。『ルー物語』は、ハロルドが配下の者に隊列を維持するよう命じたと語るが、他にそのように詳説する記録はない。「バイユーのタペストリー」は、ハロルドの弟ギリス(英語版)とレオフウィン(英語版)の死が小山周辺での戦いの直前に起きたと述べている。これは2人の弟が追撃を率いていたことを意味するかもしれない。『ヘイスティングズの戦いの詩(英語版)』はギリスの死について、公がハロルドの弟を戦闘で殺したもので、おそらくはギリスをハロルドと思ってのことであったとする、異なる話を伝える。ポワチエのウィリアム(英語版)は、ギリスとレオフウィンの遺体はハロルドの近くで見つかったと述べており、彼らが後からの戦闘で死んだ旨が含意されている。2人の弟が早くに戦闘で死んだものであれば、彼らの遺体がハロルドの下へ運ばれ、戦闘の後に当人の遺体の傍で見つかった説明となるということはありうる。軍事史家のピーター・マレンは、ギリスとレオフウィンが早くに戦闘で死んだものであれば、それがハロルドに踏み留まって最後まで戦うように影響を及ぼしたかもしれないと推測する。
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