戦闘の分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/13 16:46 UTC 版)
バイレンの戦いはテルシオの後継だったスペイン・ブルボン朝の正規軍の勝利であった。ナポレオンはこの正規軍を「ヨーロッパ最弱」と揶揄、スペイン非正規軍を「修道士に率いられる盗賊」とこき下ろした。カスターニョスも自軍の大半は「経験不足だが、彼らはスペイン人であり、スペイン人は英雄である」と認めた。そして実際、この「弱い」軍がフランス帝国軍を打ち負かしたのであった。 しかし、スペインの旧体制の軍隊は戦争の規模が大きくなるにつれ、その弱点を露呈させた。未経験者の徴兵とフンタの目的の矛盾に足を引っ張られたのだった。 バイレンの戦いを再現する試みはフランスの軍事占領と対反乱作戦を前に崩れ去った。「新しく徴兵された兵士が大半を占めるスペイン軍は敵に直面している時、行軍ができず、しかも多くが自らの武器の使い方すら知らなかった。時には戦闘の前日にようやくマスケット銃を配給されることもあった」という。スペイン軍の規律もよくなく、指揮官に従わず逃亡したものも多かったが、逃亡者は多くがフランス騎兵の餌食となり、殺されたか捕虜にされた。アーサー・ウェルズリーは連合軍の指揮官として、スペイン軍の情熱を抑え、「バイレン病」を克服しようとした。 あの勝利は素晴らしくて、包囲の行軍が簡単すぎて、あのウェルズリーは後に「バイレン」をスペイン人の考え方から追い出すことに苦心した。彼は戦闘の前に必ず冗談としてこう言った。「ここはバイレンではない。この戦闘をバイレンの戦いにしようとしないように!」
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