クラルテ運動とは? わかりやすく解説

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クラルテ‐うんどう【クラルテ運動】

読み方:くらるてうんどう

バルビュス第一次大戦従軍経験から立ち上げた国際的な平和・反戦運動日本からは小牧近江らが参加、のちに同運動の思想反映した「種撒く人」誌を創刊。→クラルテ


クラルテ運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:40 UTC 版)

アンリ・バルビュス」の記事における「クラルテ運動」の解説

1919年次の戦争小説クラルテ光明)』を発表し知識人国際反戦平和運動クラルテ」を結成機関誌クラルテ』を刊行編集長務めた。この運動は、当時パリ法科大学学んでいた小牧近江参加し帰国後の1921年この影響受けた文学思想雑誌種蒔く人』を創刊したことで日本広く知られることになった。彼は1924年バルビュスの『クラルテ』の邦訳発表しているが、小林多喜二も同じ1924年同人雑誌クラルテ』を創刊し主宰するなど、日本における国際主義反軍国主義ひいてはプロレタリア文学運動の基盤となった。 クラルテ運動は第一次世界大戦反省から反戦反軍国主義)、国際主義掲げながらも当初政治的立場不明確で、混乱もあったが、まもなく資本主義批判しボリシェヴィキ支持コミンテルンへの加盟呼びかけ議論の場となったこうした議論は、1920年12月フランス社会党労働インターナショナル・フランス支部SFIO)のトゥール党大会におけるコミンテルン第三インターナショナル)への加盟および「共産主義インターナショナル・フランス支部」(Section française de l'Internationale communiste、SFIC)への改称1943年コミンテルン解散に伴い現在のフランス共産党」に改称)につながったバルビュス自身当初マルクスの孫でフランス社会党(SFIO)員ジャン・ロンゲ(フランス語版)(1919年までSFIO議員その後シャトネ=マラブリーオー=ド=セーヌ県)の市長)を支持していたが、やがてコミンテルン支持し1923年共産党入党した以後彼にとって作家としての活動政治活動は密接に関わるものとなり、『戦士のことば』(1920年)、『刄をくわえて』(1921年)、『奈落閃く光』(1921年)にはこの間に彼が自らの思想的立場表明したテクスト収められている(邦訳青野季吉訳『闘争赫く光』、小牧近江後藤達共訳知識人与う』として独自に編纂刊行)。 『クラルテ』誌は、バルビュス同じく戦争体験から反戦運動参加したマルセル・フーリエ(フランス語版)が編集を担うと、共産党中心に左派政党党員政治活動家多数参加し共産主義革命目指す雑誌となり、1923年10月ドイツ共産党革命蜂起計画)が失敗した後、しばらくは方向見失っていたが、ソレルプルードン思想に基づくサンディカリスム理論家エドゥアール・ベルト(フランス語版)の参加によって結束固めた作家として共産党入党したのはバルビュス最初であったが、『クラルテ』誌が1924年反資本主義唱えモーリス・バレスアナトール・フランス代表される古典主義文学批判したことから、アンドレ・ブルトンルイ・アラゴンらのシュルレアリスト共感得たというのもシュルレアリスト1921年極右的政治思想傾倒したモーリス・バレス対す批判する即興劇バレス裁判」を上演し1924年アナトール・フランス死去すると、彼が代表する文壇権威主義批判する小冊子を、ブラックユーモア込めて死骸』と題して刊行し一大スキャンダル巻き起こしていたからである。一方、『クラルテ』は、バレスショーヴィニスム排外愛国主義)、「盲目的軍国主義」を糾弾し1923年に彼が死去した際には「アンチ・バレス」特集アナトール・フランス死去した際にも「アンチ・フランス」特集発行した。『クラルテ』誌とシュルレアリストとのこうした協力関係は、反戦運動においても同様であり、1925年には共同リーフ戦争反対声明「まず革命を、そして常に革命を」を発表この声明は共産党の機関紙『リュマニテ』1925年9月21日付)と『シュルレアリスム革命』第5号同年10月15日付)に掲載された。この後シュルレアリスム運動参加し機関誌『シュルレアリスム革命』編集委員であったピエール・ナヴィルがマルセル・フーリエとともにクラルテ』誌の編集担当すると、まずアラゴン積極的に寄稿し次いでポール・エリュアールロベール・デスノスミシェル・レリス参加した一方で編集方針としてはマルクス主義であったが、編集委員ナヴィル1928年ソビエト連邦訪問機にレフ・トロツキー左翼反対派フランス語版)の活動支持し、『クラルテ』誌がトロツキズム傾倒したことから、共産党批判され内部対立により1928年終刊となったナヴィルこの後トロツキズム雑誌として『階級闘争la Lutte de classes)』を創刊バルビュス文学、芸術科学経済社会問題総合雑誌モンドフランス語版)(世界)』(『ル・モンド』紙とは無関係)を創刊し死去する1935年まで編集長務めた同年廃刊)。

※この「クラルテ運動」の解説は、「アンリ・バルビュス」の解説の一部です。
「クラルテ運動」を含む「アンリ・バルビュス」の記事については、「アンリ・バルビュス」の概要を参照ください。

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